獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

ブログ開設の思い

 人間は種々様々な感情で揺れ動く。人種や老若男女を問わず、富める者も、貧しい者も等しく、喜怒哀楽に彩られて日々を生きている。生きていることが楽しいと感じる人がいる一方で、悩み苦し抜いて人生を放棄したいと考える人もいるだろう。

 それら多くの人々は、人間は自由で平等だと説かれても素直に頷けるだろうか。人間それ自体に本音と建て前があるように、人間社会にも表と裏がある。留まることがない時代の流れの中で、何かが違うと感じながら試行錯誤して日々を生きている。

 理想と現実の狭間で、善悪や正義と不正義が不明瞭な時代に生きている。病に冒されたり、身近な家族の人間関係で、思うに任せない不本意な人生を歩まざるを得ない人たちもいる。幸せの青い鳥が現れる人、現れない人、人それぞれである。

 そんな日々の思いを、何気ない日常のあれこれを、すぐに消え去ってしまう淡い思いを書き留めようとブログを始めました。共感する人、反発する人など色々だろうと思いますが、SNSの簡略な「思いつき表明」とは異なる言葉が言葉としての意味を持ち、少なからず思考する文章になればと願っています。

 巨大な時代の奔流には竿差せませんが、時に踏みとどまって、時に振り返る勇気を持ち続けたいと願い、言葉や文章と格闘する毎日です。重い病に見舞われ、九死に一生を得た人間の生きている証としての体温を、言葉に換えて綴っています。

 人間であることを飾らずに誤魔化さずに、あるがままに自分と向き合っています。老いてなお燻る性との葛藤も、本ブログとは別の「男と女のあれこれ」に掲載しました。言葉は生き物です。時代がどう変わろうと奥深い日本語は不変です。

 時代の進化に逆行する如く、どんどん簡略化されて単純になり消えていく漢字文化に拘りつつ、老骨と乏しい文才に鞭打ちながら苦闘している毎日です。時代と共に消滅してゆく独特の日本文化と、日本人としての思いを大切にしたいと願う日々です。

 時代に流されて自分を見失うことがないよう、日々静かに向き合っています。無常の風にも色や香りが感じられる、そんな日本的「侘び寂び」は随所にまだ残っています。言葉が言葉として、日本語が日本語として生き続けられるよう、日本人が日本人らしさを失わないよう、見つめ続けたいと願っています。