獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細なセピア・ブログ!!!

日本人と日本語

 私たちは毎日使っている言葉に、どの程度の関心と注意を払っているだろうか。毎度のことだが国会が開会されると、決まって安倍総理をはじめとする閣僚の面々の答弁が耳に引っかかる。失礼だがこの人たちは本当に大学まで行ったのだろうかと、首を傾げざるを得ないのである。

 最大限に譲歩して世間に膾炙している通り間違いないとすれば、高等教育を受けた期間中何を学び、何をして過ごしていたのだろうかと疑念を覚えないわけにはいかない。いやしくも選挙で国民の審判を受けて、国権の最高機関を担う重責にある人たちとは思えないのである。

 一例を挙げるならば「目途」という言葉の読みである。義務教育段階の中学生でもテストで出題されれば多くが「めど」と正しく答える。それを国権の最高機関を担う重責にある人たちが、官僚が書いたカンニングペーパーを臆面もなく国会答弁で「もくと」と読んでいる。堂々と答弁して恥じ入らないのだから、なにをか況んやである。

 この国に生まれ育った普通の日本人ならば、その程度の知性と教養を欠いていれば恥じ入るだろう。戦前や戦中の時代ではないのである。高学歴社会と言われ、多くの国民が大学へ進学できる豊かな現代の話なのだから。それとも現代の高等教育は、「恥」という古来の「武士道」と日本文化を、忘れるよう仕向けているのであろうか。

 安倍総理をはじめ国家の教育を担う荻生田文部科学大臣でさえ、「もくと」発言して恥じ入らないのである。誠に先進国という看板のレベルが落ちたものだと、感心して申し上げざるを得ない。この種の人たちのみならず、国民全体の日本語レベルが甚だ怪しくなっている。無能な担当大臣の下で繰り返された教育改革は、実効性において「教育改悪」の連続であったと認識している。

 今般の大学入試の英語試験中止が物語るように、戦後の一時期を除けば我が国の文部行政は農林行政と並ぶ時の政権の「玩具」であった。相次ぐ"改悪"で国語教育レベルの低下は目を覆わんばかりである。公共放送NHKでさえ"怪しい日本語"が蔓延している。古来言い古されてきた「今時の若者は」という言葉を、「今時の大人は」と置き換えねばならない時代に私たちは生きているようだ。

 本来の日本語は世界に類を見ないほど幅が広く、かつ奥行きが深い独特の香気を持つ言語である。それゆえに難解度が高く、日本語を学ぶ外国人は人一倍の苦労を強いられている。表現の幅が格段に広いので、同じ意味の言葉が多数ある。それぞれに特有の情緒を備えているので、丁寧に紡げば無限の表現が可能になる筈だ。

 日本語が本来の日本語でなくなった発端は国会である。言葉を弄ぶ意味不明の答弁が多発され、それがまるで保守政治家の才能である如く誤用されたことから、詭弁の道具と化してしまった。雅な奥ゆかしさが影も形もなくなり、嘘を隠す誤魔化しのツールになった。本音を隠す建前が表社会と裏社会を使い分けるようになって、日本語は独特の情緒を失った味気ない言語になった。

 現代社会は「文化」を勘違いしている。世間に珍重されるものや、商業主義が生み出す「流行」や強引な押しつけを文化と受容して、本来手元、足下にある日常的な文化を忘れている気がする。何が本当に大切であるのかが、疎かにされてはいないだろうか。日本人が"日本人らしさ"を失った先に、待ち受けている未来はどんな姿形をしているのだろうか。