獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

雪便り雑感

 木々が色づき始めた東京とは別に、北の大地には雪が降り始めたという。冷たい雪に寄せる思いは年代によってかなり違うだろう。その違いはそのまま生きてきた時代と道程の違いで、それぞれの感慨の深さと奥行きの違いになる。雪と縁が深い地域で暮らした人と、普段雪と縁が薄い地域で生まれ育った人とでは、胸に湧く想いが相当違うだろう。

 ウインターシーズンを待ち焦がれる人と、身を引き締めて雪と格闘する人とがいる。スキーやスケートに興じたり、関わり合う人たちには楽しい雪も、そこで生活を余儀なくされている人たちにとっては紛れもない厄介ものだろう。東京や大阪で見る雪と、北海道や東北北部、新潟や長野で見る雪は大きな違いがある。

 雪国以外で生活している人たちは、しんしんと降り積もる雪の風景にある種のロマンを重ねて思い描くだろう。だが、実際に雪国で生活している人たちは、来る日も来る日も降り続く大雪と闘わねばならない。雪との格闘が生きることそのものでもあるのだ。同じ雪でも認識の違いで趣は大きく異なる。

 大抵の人の認識は雪は雨同様に空から降ってくるものと思われている。その認識が誤りではないが、北の大地に降る雪は地面を這って吹き荒れる。1メートル先を見通すことさえ困難になり、時には呼吸することさえ困難になる。「降るのではなく、押し寄せる」のである。洪水で一面が水没した時のように、どこが道路かも分からなくなる。

 もう随分前のことになったが、フジテレビ不朽の名作ドラマ「北の国から」は、北の大地に生きることのことの過酷さをリアルに描いて感動を呼んだ。どこにでもいる普通の家族が、さりげなく普通に生きることを淡々と描いた倉本聰の名作である。時々画面に登場するキタキツネの表情と共に、美しくも過酷な北国の物語だった。

 雪国に生きることは、テレビや映画に映し出される"絵空事"ではないのだ。凍てつく冷たさで感覚が失われるほど過酷である。何も見えず押し寄せる"白い悪魔"を知っていますか ? 生きた心地さえ失われる凄絶な体験がありますか ? その想像を絶する壮絶さを知らずして「雪」を語っても、それは本物の「雪」ではない。

 凄絶で過酷であるがゆえに「雪」は美しい。限りなく美しいのである。生きていることの実感を、思い知らせて余りあるほど美しいのだ。真実は真実であるからこそ美しいことに、思いを寄せて知るべきだろう。何気ない雪便りに、老人は何気なくそう思った。