獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

新撰組150年

 今年も残り少なくなったが、幕末の京都で壮烈に生きた新撰組最後の勇士土方歳三が函館の地で死んで150年の節目の年だそうだ。私が住む東京都日野市は、知る人ぞ知る新撰組発祥の地である。鬼の副長と言われた土方歳三は今も一番人気で、市の恒例行事になっている5月の「新撰組パレード」には、全国から"土方ファン"が集結する。

 今年は街中の至る所に土方歳三の肖像を染め抜いた幟や横断幕が張られて、街を走るタクシーは車体全体に土方の肖像が大きく描かれている。当地日野市は土方のみならず、沖田総司井上源三郎など多くの新撰組隊士を輩出しており、それぞれの生家が記念館として公開されている。名実ともに新撰組の生地であり、聖地でもある。

 隣接する八王子市には"千人同心"の伝統と名残があり、明治は遠くなった現在も徳川幕府を悪く言う人は居ない。都心から離れては居ても、未だ"江戸っ子気質"が色濃く残る東京の中の「田舎」である。天領武蔵国時代から近い江戸の地に目が向いて、淡い憧憬と期待感を抱いていた。それが悲運を背負って動乱の時代を駆け抜けた悲劇を生んだようだ。

 正月ばかりでなく、年間を通して多くの参拝客で賑わう真言宗智山派名刹高幡不動金剛寺境内に建つ土方歳三銅像前は、記念写真を撮る人が列を成す。京王線高幡不動駅から続く門前商店街には、局長近藤勇と副長土方歳三を看板にした店もあり、新撰組一色である。団子や饅頭に加えて「土方歳三うどん」まである。

 革新系市長が誕生して一切の開発許可を出さず、20数年前までは4階建て以上の高いビルがない珍しい"田舎町"だった。"緑と清流の町"を標榜し、商業ビルが林立する隣の立川市や八王子市と明確な違いがあった。そんな風情が愛されて作家浅田次郎氏を始め、住み着いた文化人が多い。革新系市長が引退してからは開発ラッシュの趣もあったが、少なくなってもまだ野菜畑が残る素朴な街だ。

 新撰組ロマンは時代を超えて、今も地元民に慕われ親しまれている。日野市が発行する商品券や他の印刷物の多くにも土方歳三の肖像が使われ、広く市民生活に浸透している。土方や他の隊士の一族が今もこの地に根付いており、"悲劇のヒーロー"を彩っている。歴史の評価と解釈には各論があるが、そんな理屈を超えて新撰組は後世にロマンを残した。

 日野市は誰憚ることなく「新撰組の故郷」をキャッチフレーズにしている。この地に足を踏み入れれば国道、都道を問わず、市境に「新撰組のふるさと日野市へようこそ!!」の看板が立てられている。ご多分に漏れず私も、そんな日野市をこよなく愛する一人である。