獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

音楽を楽しむ

 高齢化と共に難聴が進行して音楽と縁遠くなった。最も身近なメディアのテレビから音楽番組と呼べる類いのものが姿を消して久しい。現在放送されているのは公共放送のNHKを含めて、言ったら悪いが保育園や幼稚園児を対象にしたような、"賑やかなだけの騒音番組"ばかりである。どこを探しても肝心の音楽は見当たらない。

 科学技術の進歩とやらで、誰も望んでいない放送帯がやたらに増えた。民放の有料番組は別として、BS放送は内容がひどい。殆どが再放送で、認知症の高齢者向けと思われる旧作ドラマのオンパレードだ。民放に登場する怪しげな長いCMは、余程根気がいい人でも見ると腹立たしくなるだろう。正視できる人の人格を疑わざるを得ない。

 音楽とは「音を楽しむ」と書く。騒音や雑音がお好きな人が居ても不思議ではない時代だが、良きものと悪しきものとが混然一体の昨今は、どうやら「音を楽しむ」のはテレビの役割ではなくなったようだ。スマホや携帯オーディオ機器に接続した小さなイヤホンで、騒音甚だしい移動中の雑踏で聴くものらしい。

 時代が変われば変わるもので、静かな場所で原音に近い音を聴く楽しみは、最早マニアックな世界の愉悦になったようだ。多くの日本人の誰もが、演奏会場の生の音を求めてステレオ装置を備えた時代が遠くなった。身近にあった音楽が遠のき、騒音や雑音に親しむ若者世代が増え続けている。

 音に良い悪いはないが、せめて心地良い音と肌触りが悪い音くらいは、心得て欲しいものである。学校教育での音楽は富裕層の特権として距離が置かれ、誰でもが公平に親しむものではなくなっている。各種の音楽コンクールに登場するのは決まって有名私立校で、著名な演奏家に個人レッスンを受けている子供たちの独壇場化している。

 貧富の格差は音楽に関しては明瞭で、持てる者と持たざる者との格差が歴然としている。特にクラシック分野は否応なしにエリート家庭に特化されて、幼児教育のあるなしでほぼ能力が決まる。「音を楽しむ」世界とは別の、特殊な音楽世界を形成している。そのことがより音楽を私たちから遠ざけて、満足な音感さえ持たない子供たちを量産している。

 言葉が必ずしも適当ではないかも知れぬが、現代は進歩した科学技術とは裏腹に『音痴の時代』を迎えている気がする。音楽が「音を楽しむ」ものではなくなって、若手歌手のライブに見られる祭り同様の「大勢で騒ぐもの」化している。得体の知れない怪物や怪獣が登場する映画やドラマが持て囃され、音階が定かでない歌手やグループのライブが大盛況だ。

 21世紀になって私たちの生活は本当に豊かになったのだろうか。金儲けに余念がない利権まみれの為政者の口車に乗って、豊かになったと説き伏せられているだけなのではないかと、時に疑念が湧く。「音を楽しむ」ことさえ見失って、騒音や雑音との区別が不明瞭化した時代に生きているように思う。豊かという言葉の反面教師に酔わされていても、決して心が豊かになることはないのである。

 「音を楽しむ」のは本来誰にでも出来る。少しの知識があればより大きく、豊かな世界に触れることが出来る。そこから豊穣な情感が生まれ、人間愛や自然への畏敬が育まれる。そんな言葉はこの時代にそぐわないのだろうか。時代と共に忘れ去られるべきもので良いのだろうか。