獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

オーディオの愉しみ今昔

 古い時代にはオーディオという言葉は使われず、日本人の多くは「ステレオ」と呼んで親しんだ。高度経済成長期に入る前の時代で、その後になって続々登場したコンポや単品のオーディオ機器とは全く異なっていた。単純に2回路の真空管アンプに2個のシングルコーン・スピーカーを取り付けただけの、言うなれば「ステレオ・ラジオ」である。

 それらの機器が当時のナショナルやビクター、コロンビアなどのメーカーから発売されて、モノラル・ラジオしか知らなかった当時の日本の若者を熱狂させた。流行歌と呼ばれていた歌謡曲しか流れないラジオから、新鮮味溢れるアメリカンポップスが左右に広がる音で聴けるようになったのだから、当時は文字通りの「驚き桃の木山椒の木」だったのである。

 新種家電として大々的に宣伝されたことも手伝って、瞬く間に独身者のみならず新婚家庭の必需品化した。当時を知る人は私を含めて最早、"黄泉国"に近い超高齢者になった。娯楽は映画とラジオくらいだった時代で、登場したばかりの白黒ブラウン管テレビと同様に高価だった。テレビかある家庭が豊かさの象徴だった頃だから、「ステレオ」がある家庭は知性と教養を備えたエリートと見做された。

 当時の若者目線で言えば、「ステレオ」で洋楽を聴く男子には殆どの女の子たちが、強引な誘いや要求も拒まないほど威力があった。ローンという言葉が登場する前なので、長期分割払いとか月賦と言われていた支払いが、かなりの重圧だったのを憶えている。その苦労が報われて何人かの女の子と○○○○した。

 高度成長期へ入ると「ステレオ」も発売される機種が増えて、パイオニア、トリオ、サンスイの「オーディオ御三家」が登場して、先行するSONYやビクター、コロンビアなどのメーカーと競った。パッケージされたシステム・コンポからスペックを競う単品コンポの時代へと移り、JBLMacintoshなどの海外メーカー品も登場した。

 単品を組み合わせるオーダーメイド時代になり、特に音の出口であるスピーカと入り口のレコード・プレイヤーやカットリッジに数多くの製品が集中した。ユーザーの嗜好性が強い音の世界は、数値基準よりも「好き嫌い」が先行する厄介な分野で、数々の専門誌も発売される高人気を博した。オーディオ評論家なる職種と人種が生まれて、各誌で評価を発表したが実際と違うものが少なくなかった。

 音源はLP盤だが高性能のオーディオ機器を所有する耳が肥えた音楽ファンは、稀少だった輸入盤と簡単に手に入る国内盤の音質の違いを問題視した。私自身もその一人だったが、音源の違いだけでなく、オーディオ機器そのものも比較すると違いが歴然だった。特に国内メーカーと海外メーカーとでは、誰の耳にもその違いが分かるほど差が大きかった。

 決して"舶来主義者"ではないが、音質に拘って自分なりの音を求めるとどうしても高価な海外メーカー品に目が向いた。幸い東京は秋葉原に比較して視聴できる専門店が多いので、手土産持参で店員と仲良くなり足繁く通った。数多くの変遷を経て、最終的に手元に残った機種はレコード・プレイヤーが英国LINN-LP12で、これにSME3009S2の初期モデルを特注で取り付けた「幻のモデル」になった。

 音の入り口カートリッジは、言わずと知れたデンマーク製のオルトフォンSPUリファレンスである。これに音の相性を考慮して同一メーカーのオルトフォン製ヘッドアップトランスを使用していたが、DENONの新製品が出て比較すると音の品位で勝るので交換した。他にも数十種の内外著名カートリッジがあったが、SPUを超えるものはなかった。出口のスピーカーはスペース的制約もあり、英国タンノイと甲乙つけ難いドイツの新興メーカーELAC518の縦長3wayになった。間を取り持つアンプは比較試聴を繰り返して、原音に忠実で音量変化がない国産のアキフューズで落ち着いた。CDプレイヤーはDENONと双璧の観がある、音が素直で高音域が綺麗な国産品のmarantz最高グレード品にした。

 かなりマニアックと言えば言えなくはないが、何と言っても特筆すべきはスピーカーの
ELAC518で、亡くなった著名な評論家諸氏が愛用しただけのことがある高品質な音を響かせる。アメリカのJBLやアルティック、イギリスのタンノイとも違うジャーマン・サウンドそのものだ。オーケストラのすべての楽器音が鳴っている分厚い音で、国内各メーカー製品と比較すると同じ音源でも違って聴こえるほど差が明瞭だ。

 オルトフォンSPUリファレンスにも通じる、音がぎっしり詰まった感じがする独特の腰が座った分厚い音に圧倒される。現代的とか洗練された音という表現とは対照を成す、往時のベルリン・フェルの重厚な音を見事に再現する。60年代頃のドレスデン響などを聴くと気を失いそうになる。国内メーカーにも数は少ないが名器はある。全体的に優等生の平均的サウンドと言わざるを得ないが、それだけ聴いてそれに親しめば、それはそれでその人の音になる。

 有名な往年のJazzの名盤など聴くとJBLやアルティックなどのアメリカ勢に分が上がる。特に名録音として知られるルディ・ヴァンゲルダーのブルーノート盤は、ピアノの中へマイクを入れ、バスドラに密着させたマイクで音を拾う独特の手法で録音されている。
原音以外の音を取り込まない生々しい直接音である。それゆえ反応が早く、明快な音を出すアメリカ勢スピーカーが威力を発揮する。ヨーロッパ勢のホールや教会などの響きを大切にする録音技術とは明瞭な違いがある。

 「好きこそものの上手なれ」と言われる如く、音楽を愛し、オーディオを愛する心が深ければ、教科書やテキストにはない色々なことが分かるようになる。時代の変化でLP盤がCDになったが、LP盤同様輸入盤と国内プレス盤でかなりの違いが認められる。更に言えば録音技術にも地域性と国柄の違いがある。長い歴史があるヨーロッパ勢は、独グラモフォンと英EMIにそれぞれの特色があるし、同一ブランドでもロケーションの違いで微妙に音の傾向が異なる。

 そのどちらが良い音で、どちらが悪い音などとは誰も決められない。音源の原音に忠実な音が必ずしも心地良いとも限らない。音楽そのもののジャンルや、聴く人の好みで大きく評価が割れるのが音楽だ。可能であれば出来得る限りの機種を実際に聞き比べることが一番だが、間違っても他人の評価に惑わされないことだ。唯一無二の音は、あくまで自分の音であることを努々お忘れなくとご忠告申し上げる。

 どんな名機が奏でる音も寄る年波には勝てない。高齢者となって進行する「難聴」は、音質云々する前に音そのものが遠のく。下手をすれば音量を上げても聞き取ること自体が困難になる。そうなっては"元も子もない"話であることを、最後にお断りして終わりにしたい。往年の名器は一昨年私の側を離れて、文字通りの「幻」になった。