獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

大相撲初場所概観

 大相撲初場所が終盤戦の佳境である。負けて形勢が不利になると決まってすぐ休場するモンゴル人横綱二人が揃って休場して、ようやく日本人力士が主役の舞台に上がった観がある。以前から日本相撲協会に少なからぬ疑問を抱いていたが、そもそも日本の国技を名乗っていて何ゆえモンゴルなのかである。

 今やグローバル時代とかで世界の垣根が低くなったとは言え、国技である大相撲の主役がモンゴル人に占拠されて久しい。強くて勝てれば金になる、伝統や格式に囚われるのは最早流行らず、市場原理の原理・原則が優先される商業スポーツの一つに成り下がった。「見世物興行」のそしりを免れ得ないのに、何ゆえ「国技」として尊ばれるのか不思議である。

 必ずしも「純血主義」に拘るわけではないが、「国技」という以上はそれなりの格式と品格があって然るべきだ。古い習慣や育成制度はそのままに、大相撲の各部屋が血眼になってモンゴルへスカウトを送る様相は、どう贔屓目に見ても「伝統国技」の名に相応しいとは思えないのである。プロ野球Jリーグサッカーとどう違うのだろうか。

 現代社会は物事の基準が曖昧な時代だ。政治が率先してその範を垂れているこの時代に、今更のように大相撲の品格を云々しても始まらないのかも知れない。"事実は小説よりも奇なり"が日常的になった時代だから、政治同様に"何でもあり"が当たり前で、それを云々する方が余程非常識なのかも知れない。

 現在の大相撲は小兵の「炎鵬」が連日国技館を沸かせている。現解説者の舞の海秀平氏の現役時代を彷彿とさせる奇想天外な取り口で人気を博している。他にも小兵力士が居て巨漢力士に勝利すると万雷の拍手と声援が飛ぶ。「判官びいき」と古くから言われる日本人の特性とも言える現象だが、単にそれだけだとは到底思えないのである。

 それぞれ口や態度には出さなくても、長い伝統を誇る国技の大相撲が何ゆえモンゴルなのかという疑問や反感は、多くの日本人に共通していると思う。そんなもやもやした気分をせめてもの日本人力士に託して、番付の上位や下位に関係なく「胸が空く」思いを共有したいのだ。横綱大関陣が総崩れの初場所が何故「満員御礼」なのかを、日本相撲協会の関係者は謙虚に受け止めて大いに反省すべきである。