獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

我が国の政治風景

 通常国会が開幕中である。相も変わらぬ与野党の攻防とは程遠い"せめぎ合い"は、不毛で退屈極まりない。認知症の高齢者以外の国民は誠に見るに忍びない。毎度お馴染みと言えばそれまでだが、この混沌とした国際情勢の中にあって、よくもまあこれほど呑気なことを言っていられるものだと感心せざるを得ない。

 こんな退屈な茶番劇でも膨大な国費を浪費していることに、あきれ果てて腹を立てる国民は最早いないだろう。それをいいことに特権を享受して"やりたい放題"を繰り返しても、関心を示すのは"ネタ不足"のマスコミだけだ。それとて「毎度政府批判」の新聞と、「安倍政権にヨイショ」の新聞が書き立てるだけで、読者の国民はいつものことと辟易している。

 曲がりなりにも政党政治を標榜してきた我が国が、何ゆえこの"ていたらく"に落ち込んだのかは色々理由がある。中でも根本的な原因の一つは政党政治が機能していないことだろう。表向きは与党・野党と言いながら、実際に与党と野党がその役割を果たしているのかは大いに疑問である。現在の我が国政党は単に税金で賄われる「政党助成金」を受け取るためだけに存在していると言って、決して言い過ぎではないであろう。

 与党は言うまでもなく政権担当政党である。政府が行うすべての政策に責任を負わねばならない。だが実際の現与党は為政者に尻尾を振って、政府と党の役職に就きたいチャンたちの"ゴマすり"の場に成り下がっている。形振り構わず恥知らずに嘘八百を並べて選挙に勝ち、巨額の利権を背負って権力者に取り入る"ゴマの蝿"集団である。

 その "ゴマの蝿"集団に更に尻尾を振る訳が分からぬ宗教政党は、政見も政策もかなぐり捨てて政権与党に寄生している"ゴキブリ"さながらである。欲得以外に関心のない「破廉恥厚顔」の面々が政権与党の実態だ。特に巨大与党の自民党は、かつて主張と政策が異なる強者が軒を並べる自由主義陣営の旗手だった。"だった"と表現せねばならないところに現在の"ていたらく"が潜んでいる。

 かつての自民党は右派と左派の真ん中に中道派が存在した。善し悪しは色々あってもそれぞれの政治性を前面に掲げて切磋琢磨した。言うなれば与党内野党が存在して、うかうかしていると足下をすくわれる緊張感が強くあった。それぞれが全身全霊を尽くしてぶつかり合い、そこから現在と未来図を示して主流を争ったのである。

 「死闘」と呼ぶに相応しい激しい政権の争奪戦を繰り広げたのが記憶に生々しい。この当時の自民党は文字通りの政権与党で、野党がその存在を脅かすことは考えられないほど強力だった。選挙戦での戦いは野党とではなく、与党内候補者同士が雌雄を決するべく死力を尽くした。一方の野党は「万年野党」と呼ばれて、社会党共産党を中心に労働者の代表としてのプライドと主張を掲げて独自観を示したが、ただそれだけである。

 与党と野党との違いは鮮明で、自由主義を掲げる与党陣営と社会主義を掲げる野党陣営とに旗色が分かれていた。高齢者のノスタルジーで追慕するつもりは更々ないが、現在の我が国の政治状況と比べて緊張感と現実感が大きく異なっていた。一言で言えば「真剣味」が全く異なっていたと断じざるを得ない。

 現在の我が国の政治は、悪いが「政治」ではない。単なる"悪ふざけ"に過ぎないように思う。主義・主張の違いが良く分からない政党が次々登場して、「同じ穴の狢」が相争う図を演出しているようだが、桟敷席の国民には正直「何が何だか分からない」現象をもたらして、訳が分からないまま気分で選ぶ選挙が続いている。

 少なくても我が国の政治を活性化するには、現実を率直に見つめて自民党を割るしか方法はあるまいと思う。誰がとは言わないが現在の安倍総理と主張を異にする面々が少なからず居る筈で、その面々が声を大にして主張を掲げて起ち上がることが必要だ。党内野党として闘うのは現制度では事実上無理で、公認権と党費を一手に握る総裁派閥に牛耳られるのが目に見えている。

 本来の政策集団に立ち返って党を割って出ることだ。元々自由党民主党が合併して発足した自民党だから、政治の原点を思い起こして蛮勇を奮うことが必須である。この国を背負って立つ真の勇気があるかどうかが問われる場面だが、少なくとも淀んだ"どぶ川"に新鮮な空気を送る程度の効果は期待できよう。現在の中古品野党に期待できないだけに、自民党内から"のろし"を上げる猛者の出現を願わねばならない。

 軟弱化して"フニャフニャ"状態の現自民党に、それを期待しても無理なのは十分承知している。党内・党外を問わず「何でもあり」の現代だから、一寸先は分からない。何が起こらないとの保証はないのだから、万万が一の奇跡の風が起こることに期待しよう。そんなことでも起きない限り、我が国政治の"ていたらく"は救いがない。

 誰かが手を上げる勇気を振り絞らなければ、「半分寝ているような政治」から脱却は困難だろう。無鉄砲でも良い、無分別でも良い、とにかく手を上げて行動を起こすことだ。屁理屈を捏ねていても何も変わらない。必要なのは理屈ではなく実際の行動だ。誰かが動いてみんなが同調すれば、確実に流れが変わり、時代が変わることに今一度思いを巡らせよう。スタートがないレースにはゴールもないのである。