獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

老人日記(3)

 老人は物忘れが激しい。ブログの駄文も書きかけていて、何を書くのか忘れることがたまにある。昨日は2020年2月2日で2が4個並ぶ面白い日だった。そんなつまらないことは良く憶えているのに、肝心のことになると些か心許ない。それもこれも"寄る年波"でしょうがないと半ば諦めてはいるが、それでいて諦められないものもあるので厄介である。

 特に食物についてはかなり貪欲で、好物が先に食べられたりすると容易に諦められない。老妻との二人暮らしで他人がいるわけではないのだが、たまに息子夫婦が来たりすると嫁さんは他人である。食事以外の時間は楽しく談笑していても、いざ食事となると少々険悪になる。老妻が気を利かして私の好物を先に選り分けてくれるのだが、それでも未練がましく"気が気ではない"のである。

 特別食料に困窮する貧しく卑しい生活を経験したわけではない。外交官だった親父が外地で体調を崩し、帰国して日本の病院で治療することになった際も、国中が困窮した終戦の年であったにも関わらず、外交官特権をフルに活用して欧米の高級食品を大量に持ち帰った。加えて母の実家が東北地方有数の大地主だったので、貨車を仕立てて食料を届けてくれる他人が羨む不自由ない環境で幼少時を過ごした。

 親父が帰国してから妹と弟が生まれたが、それまでは裕福な家庭の一人っ子として育った。大地主のお嬢様として育てられた母は負けず嫌いで、自他共に認める我が儘だったので、それを受け継いだのかも知れない。敗戦の焼け跡に食料を求める人たちが長蛇を成していた時代に、杉野ドレメ仕込みのヨーロッパファッションに身を包んでいた母を憶えている。

 家事が出来ない母は住み込みの女中二人に任せっきりで、それでいて味付けにはうるさかった。一人息子の私が食べるものは真っ先に母が選り分けて、それ以外のものを食べることを許さなかった。そんな幼少時の名残が妙に残っているのかも知れない。老妻はそんな私の幼少時を母から聞かされている。息子も老妻から聞いて知っている。

 何も格別贅沢趣味があるわけではなく、随分前になるが指揮者の小澤征爾さんが焼き鮭の皮が好きだと言っていたので、それ以来私も残さず焼き鮭の皮を食べるようになった。親しい友人などと温泉地へ出かけた時は、彼らが食べ残した焼き鮭の皮を引き受けている。他人がどう評価しようがしまいが、"旨いものは旨い"のである。

 納豆が好きで、それに紀州南高梅の梅干しと、焼き鮭、昆布入りの白菜の漬け物があれば言うことはない。最近のお米はブランドに関わらずどれも美味で、熱々のご飯はたまらなく美味しい。日本人に生まれて良かったと、食事の度に心底実感している。「幸せだなー」と思って余りあるのだ。

 何年か先まで生き長らえて認知症とお付き合いすることになったとしても、多分食べることだけは終生忘れないだろう。それには老妻も同意している。グルメブームだか何だかよくは知らないが、他人が旨いと評価したものを喰って旨いと言っている御仁に同調するつもりは更々ない。味まで他人に教わるほど"呆け"てはいないつもりである。

 自慢にならぬ"物忘れ"だが、本人が忘れていても「舌」が憶えている。老人は見かけによらず執念深いのである。さて、今夜の我が家のメニューは何が出てくるか楽しみである。