獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

ラーメン今と昔

 ラーメンは言うまでもなくラーメンである。良くも悪くも日本人なら知らぬ人は居まい。「ラーメン 【拉麺】(中国語から)中国風に仕立てた汁そば。小麦粉に鶏卵・塩・梘水かんすい・水を入れてよく練り、そばのようにしたものを茹ゆで、スープに入れたもの。支那そば。中華そば。[広辞苑 第七版]」

 オールドファンならご存じと思うが、上記広辞苑に記載があるように昔は「支那そば」と言われていた。今や数多くの種類が誕生して色とりどりの趣があるが、昭和20年の敗戦と"焼け跡闇市"を知る世代なら、青空市やバラック市が立つ街角に漂った臭いが忘れ難いだろう。一杯100円と書かれたボール紙の前に並んだ長蛇の列もである。

 ラーメン・チェーンの幸楽園の看板に「昭和29年一杯のラーメンはご馳走だった」と書かれている。創業の由来のようだが、昭和29年当時中学生になったばかりだった私には強烈な印象がある。敗戦の混乱が落ち着いたとは言え、まだ深刻な物資不足が続いて満足な食料にありつくのが大変な時代だった。

 ゴム長靴が学校で古靴持参の配給だった時代である。家族そろって食事に出かける習慣が未だなく、何かのお祝いに家族で食べたのがラーメンである。現在はメンマと呼ばれるようになったが当時の「支那竹」は珍しく、臭みがある塩味が忘れられない郷愁になったものである。チャーシューの焼豚は滅多に口にできない高級食材で、その旨さが五臓六腑に沁み渡ったのである。

 家族団らんを再確認する場でもあったラーメン店は、「支那そば」という懐かしい響きを伴って現在もなお消えることなく、私の心の片隅に焼き付いている。「支那」という言葉が差別用語だと指摘されるようになって使われなくなったが、戦後の貧しい時代の「支那」は貧しい世界を代表する当時の中国の代名詞でもあった。定職に就けない貧しい中国人の多くが、細々とラーメンの屋台を引き店を開いたのだ。

 そこから焼きそばが生まれ、餃子やシューマイが生まれた。中華料理といえばそれらを指し、戦後の貧しい身なりの日本人の食欲を満たした。ラーメンが何ゆえラーメンかを知る人が少なくなって、現代はカニやエビを盛り付けた高級ラーメンも登場している。豚骨ラーメンが人気を博している背景を知る人がどの程度居るだろうか。一杯のラーメンから移り変わった時代が味わえるのである。

 「支那そば」という呼び名は消えたが「中華そば」はまだ現役だ。関東で長く愛された「東京ラーメン」が、少なくはなったがまだ残っている。あっさりした醤油味のスープで、具材は定番のメンマとチャーシューに加えて薄切りの鳴門と小さな焼き海苔である。表面に浮かぶ刻みネギと胡椒の香りが、今も昔も変わらぬ"ラーメンの伝統"を伝えている。

 インスタントのラーメンが世に出て久しく、安く簡単に食える便利さが受けて世界に広まった。戦後の闇市で人気を博したラーメンは、元々は貧しい在日中国人によって生み出されたが、今や日本を代表する食品になった。中国料理にない不思議な「中華そば」は世界に知られ愛される食品である。立ち上る湯気の向こうに過ぎ去った時代とその風俗を垣間見ることができる食品だ。  

 全国各地に数多くのご当地ラーメンがある。北海道の寒い大地に根づいた「札幌ラーメン」、朝鮮半島に近い九州博多の「豚骨ラーメン」がその代表格で、懐石料理の本場京都に何故か忘れ難い「京都ラーメン」がある。時代と共に移り変わってきたラーメンだが、その味が何ゆえ日本人の味覚と心を捉えて放さないのか不思議である。その限りない奥深い味同様に興味深い。たかがラーメン、されどラーメンである。ラーメン万歳!!!