獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

饂飩と蕎麦

 私たちが毎日お世話になっている日本語は、簡単なように思えるが実は意外なほど複雑で奥が深い。別に国語の学習が目的ではないが、普段口にしている食事についても話し言葉は日常的でも、タイトルの文字がすらすらと書ける人は多くはないだろう。国の教育方針がひらがな表記を打ち出して以来、ひらがなが当たり前だと思っている人が増えた。

 のっけから小難しい話になって恐縮だが、例え「うどん」と「そば」と表記しても、実際に口にする味は全部同じではない。グルメを以て任じる御仁なら尚更あれこれと蘊蓄がお有りだろう。決して高級料理の範疇へ入る部類の食材ではないが、それだけに家庭料理や郷土料理同様に微妙な特殊性が実に多彩だ。

 ひらがなで「うどん」と表記すればほぼ同じイメージになるが、漢字で饂飩と言えば何やら違うイメージになる。多くの人がすぐ頭に思い浮かべるのが香川県の「讃岐うどん」であり、秋田県の「稲庭うどん」、群馬県の「水沢うどん」などであろう。それぞれに長い歴史を持つ伝統の味がお馴染みだ。

 「そば」についても似たような共通点があり、単に「そば」と言えば老舗から一般家庭まで広く行われている「そば打ち」を思い浮かべるし、特定の産地や特別栽培されている品種までは気づかない場合が多い。それが「蕎麦」という漢字になると、何故か特定の産地の素材の色や味までが思い浮かぶ。最も有名な「信州そば」を始め、全国各地にそれぞれの特色を持つ忘れ難い味がある。

 饂飩と蕎麦は日本人には最も親しみがある食材だ。最大の特徴はまず値段が安いことだろう。手軽に食べられる点では洋食系のパンに一歩譲るが、ファーストフードとしての長い歴史がある。うどん・そば共に多種多様で、具材の名を冠した「天ぷらうどん」や「天ぷらそば」などに加えて、振る舞われる産地の名をつけたものが各地にある。

 同じ麺類でも蕎麦は時に「日本そば」と断りが入る場合が少なくない。ご存じのラーメンが「中華そば」を名乗るがゆえに、日本の伝統的麺類であることを強調する狙いからだろう。うどんとそばは素材の小麦粉とそば粉に食塩が加えられるだけだが、「中華そば」は小麦粉に卵黄や鹹水などの他素材が添加される違いがある。

 うどん・そば共々至って単純な素材をこれほどまでに多種多様にしたのは、ひとえに日本人の多様で繊細な味覚の成せる技だろう。一つの食材を様々に活用する例は諸外国にも少なからずあるが、ここまで「使い回した」例はお目にかからない。そのうどんやそばに、近年妙な流行がつき纏うのを目にする。言うまでもなくご存じの「手打ち」である。

 本来はうどんやそばは全て「手打ち」であった筈だ。文明の力で機械化されて、品質や形状が平均的に向上した。その面で大いに歓迎されながら、昨今はそれを否定するかのように「手打ち」が高級の代名詞になった。「手打ち」にあらずんば高級品にあらずとの風潮が根強い。ただ単に人間が手作業で作るとの違いだけで、明らかに機械製麺を上回る味になっているか否かは二の次らしい。

 言葉は悪いが「猫も杓子も手打ち」との観は正直否めない。内容や中身よりも形が重要視される、古来の日本文化の源流を見る思いがする。一言で言えばどう作ろうが旨いものは旨いし、まずいものはまずいのである。技術と魂が抜け落ちている「手打ち」に時折出くわすが、これほど悲惨な体験はない。「面(つら)を洗って出直して来い」と、怒鳴りたい衝動を抑えるのに苦労する。

 大枚を支払う高級飲食店ならそれなりに納得もしようが、普段着で気軽に立ち寄った街のうどん屋やそば屋だから許容し難い。テレビの評判や他人の噂を気にして訪れる客と、近所や通りすがりの馴染み客のどちらが本来の客かを勘違いしている。分不相応とも思える立派な店構いで、凡そそれに見合わぬ味に出くわした暁には、終日気分が悪い思いをせねばならない。

 誰でもが気軽に口にすることが出来る食材や料理こそ本来のグルメであると確信するがゆえに、見かけ倒しの「手打ち」はどうぞご勘弁願いたいと思って止まない。たかが「うどん」であり「そば」ゆえに、誤魔化しが通用しないことを肝に銘じて貰いたい。それでこそ「饂飩」となり「蕎麦」となり得るのである。