獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

音楽を聴く日々に

 難聴で日々弱まる聴力と音感を補うため、更には癌闘病患者としての雑念を遠ざけるため、ほぼ毎日四六時中音楽を聴いている。2組のスピーカー・システムと、同じく2組のヘッドフォンを用意して、その日のコンディションに合わせて選択しながら色々な音楽に親しんでいる。齢80歳で音楽付けの生活を過ごす"変なお爺さん"である。

 身の回りを見渡しても類似例は乏しく、どうやら他人には"変態老人"に見えるらしい。肝心の当人はそんなこと一向に構わないタイプの人間なので、朝から悠々自適を決め込んで"逸に入って"いる。数年前には癌の闘病生活を前にして、生きて再び我が家へ戻れる保証がない入院生活になったので、個人資産に属するものは全部処分した。

 殆どを処分した音源の中で僅かに残したCD約200枚前後が、現在の私の友である。新旧混在だが極端に古いLPなどは残っていない。いずれも長年聴き込んで耳に馴染んでいる。難聴が重症化しているので実際には聴こえていない筈の音が、脳に記憶されている「音感」に助けられて心に届くのである。

 晴れていても、曇っていても、広い大空に様々な色彩が思い描かれて年甲斐のない「夢」に酔う。中学生の受験勉強の傍ら聴き始めた音楽だが、当時から余り特定のジャンルに拘らなかったので、民謡や浪曲を含む邦楽から純クラシックまで手当たり次第聴いていた。青春時代にはジャズにのめり込んだ時期もあったが、クラシックを手放すことはなかった。

 必ずしも恵まれた家庭ではなかったが、それでも自分の世界を広げる妨げになるものはなかったから、幸せと言えば言えなくはない青少年期を過ごした。後に「音楽は世界を変える」との壮大な夢を描いて、未だ貧しかった全国各地で音楽鑑賞団体を次々立ち上げる活動に取り組むきっかけの一つになった。

 酒を嗜まないので酒席が苦手で、加えて一切の勝負事とも無縁な物静かな青年であったと思うが、次々現れては消えていく女性たちとの関わりの場でも音楽が主要テーマとして話題の中心になった。だから単に耳で親しむ音楽ではない、色彩や暖かな手触りを伴う実感的媒体として長く私の人生を彩ってきた。

 時代を彩る音楽がある一方で、時代を創り切り開く類いの音楽もある。どちらであっても熱い人間の血が息づくゆえに、聴く人の心を動かし忘れ難い記憶になって残る。その意味で音楽は聴く人の人生そのものだし、決して"無色透明"ではないのである。熱さや冷たさが伝わらない音は死んでいる。それを感受できない聴き手の生活も、悪いが"死にかけて"いる。

 実生活では「瀕死の重症患者」でも、生きる努力と一瞬一瞬を輝かそうとの意欲を失わなければ、大小様々な「感動」が後を着いてくるものだ。大切なのは与えられることを待つのではなく、自らの肉体と五感を駆使して「輝き」を生み出せるか否かだ。自ら「創造」する意欲と努力を、怠らずに出来るかどうかだろう。

 高齢者の誰しもに訪れる「老醜」に甘んじて浸かるか、それとも自然体でそれを乗り越えられるかで、人生の終末は大きく変わるだろう。内容的に豊かなものと陳腐なものとが同居し、退廃著しいと言わざるを得ない現在の我が国の音楽シーンを見るにつけ、自らの人生を彩るのも容易ならざる時代を実感している。