獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

ああ懐かしの自民党

 我が国の政界に自民党が登場して久しくなった。世に「55年体制」と知られた時代がすっかり遠くなった。今やその言葉を目や耳にする事さえなくなったが、自民党という呼称が広く定着して、「自由民主党」という正式名称が半ば忘れられかけている趣だ。お笑い茶番とも言うべき河井前法相夫妻の逮捕劇をテレビで見て、改めて自民党とはに思いが巡った。

 これだけ世間を騒がせる選挙違反の買収劇を演じても、両議員が所属する自民党から何らの批判らしい批判が挙がらないのが不思議である。自民党も随分様変わりしたものだと改めて時代の推移を実感させられいる。往年の自民党は思想・信条が右から左まで幅広い層がそれぞれに人脈を築いていた。

 当時の自由党民主党保守合同と言われた大合併で現在の自民党になった。そのきな臭い経緯はともかくとして、現在で言えば与党自公から維新、立憲民主、国民民主、社民など共産党を除く全政党を束ねるが如き大政党として誕生した。政党政治の中心はこの自民党社会党の二大勢力に色分けされていた。ゆえに「保守と革新」と呼ばれていた。

 現在の自民党は良くも悪くも右派政治オンリーである。中道左派路線を標榜する勢力「宏池会」が存在はするが、安倍総理を擁する右派「清和会」に首領岸田文雄を取り込まれてグーの音も出ない。ひたすら従順に安倍総理に仕えてきたので、その見返りとして次期自民党総裁と総理の座を"禅譲"されると信じて疑わないお人好しグループである。

 そもそも「何でもあり」で有名な安倍総理に「信義」など存在せず、その時その場の都合で"信義らしきもの"がころころ変わるのである。自らの政権基盤を守ることが第一義で、極論すれば党内の一部議員が生きようが死のうが関係ないのである。況してや他派閥議員の動向など"我関せず"であろう。

 地元関係者に形振り構わず現金をばらまき、県議の妻を無理矢理参議院議員に当選させた最近稀に見る悪質選挙違反容疑者を、事もあろうや法の番人である法務大臣に任命したのだから何をか況んやである。記者団から任命責任を問う声が上がっても、"仮面づら"で白々しい理屈を述べるだけで、責任の欠片も感じていない。

 向かうところ敵なしで、政治信条を異にする党内実力者を次々閣僚や党内の要職に任命して恩を売り"棘を抜いて"きた。自派の盟友の菅義偉を不動の官房長官に起用して党内に睨みを効かせ、総裁選の対立候補になりそうな有力者を徹底的に潰してきた。その最大被害者が石破茂元幹事長である。今や完全に息の根を止められて、党内に留まるのさえ茨の道である。可と言って党を割って出る度量は当人にない。

 石破氏に自民党を割って外へ出る度量がないと見越すと徹頭徹尾「無視作戦」で封じ、党内では新興勢力の二階氏を党幹事長に据えて実質的に自派へ取り込んでいる。55年の保守合同で誕生して以来、党内には常に群雄が割拠して時には"血生臭い"対立を生んできた。良くも悪くも右から左まで幅広い主張や信条を抱えるゆえに特有のパワーを有してきた。

 党内の内紛をエネルギーにしてきた歴史が自民党にはある。常に総裁・総理の座を我が物にせんと虎視眈々狙う実力者が一人や二人ではなかった。それだけに一旦派閥均衡が崩れると収拾するのが容易でない薄氷の脆さが付き纏った。政敵は党外の野党ではなく、党内野党とも呼ぶべき他派閥だったのである。否応なく「切磋琢磨」される環境があった。

 少し前になるが、NHKがBSで読売新聞の渡辺恒雄論説主幹の2時間にわたるロングインタビューを放送した。最近の"腑抜け"になったNHKは視る気がせず、CMだらけの民放は元々嫌いで視たことがなかった。テレビは長いご無沙汰になっていたが、簡単に誰彼との面談に応じないことで有名な老骨の渡辺氏の動向を知りたかったので、珍しく録画して視た。

 "腑抜け"のNHKにしては出来過ぎの番組で、対談相手が元ニュース9のキャスターだった大越健介氏だったので納得して視た。若僧スタッフが掛け合ってOKする渡辺氏ではないのを知っていたので、最近のNHK出色の番組誕生の理由が理解できた。読売新聞一筋に90歳の現在も現役を続ける老政治記者ならではの、我が国保守政治の生々しい息吹が興味深かった。

 近衛文麿元総理も関心があったが、吉田茂氏が登場して以降の我が国保守政治はそのまま現代史なので殊更興味深かった。中曽根元総理と親しかった人物と縁が深かったので、私が知り得ない一面を覗かせて貰った気分だった。群雄割拠という言葉を改めて再認識させられたが、それにつけても現在の我が国の政治は何を目指すのだろうかと気になった。

 世に言われる「一強」政治は悲劇である。対抗し得る思想・信条がないことを意味して、遠いナチス・ドイツの時代を思い浮かべずには居られない。"安倍一強"の時代が長く続く是非をどれほどの国民がお考えであろうか。政党としての自民党が活力を失い、我先にと安倍詣でに明け暮れる昨今ならば、第二、第三の河井前法相は続々誕生するだろう。

 死に体の与党自民党をよそに、その脛にべったりと張り付いて動かない蛭の如き公明党という名の与党。思考停止を恥じることもなく安穏として存在する様相は、政府・与党にケチをつけるだけの存在感しか持ち得ない野党同様に「在っても無くても善い」存在そのものだ。何のために存在するのか、それすらを疑わざるを得ない政党が次々誕生する。

 現状から推察する限り往年の自民党が復活することは多分ないだろう。NHKの番組同様に「芸がない芸人」ばかりになって、彼らの陳腐な"駄じゃれ"がこの国の政治になる日が近づいている気がする。"歌を歌えない歌手"は「歌を忘れたカナリヤ」以上に深刻で、それを持て囃して喜んでいる国民は更に救いがない。"人気"とカネがあれば誰でもが気軽に「大臣」になれる。そんな時代がすくそこまで来ている気がして背筋が寒くなるのである。