獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

面白くも可笑しくもない都知事選

 都知事選が明日投開票される。20数人が立候補する毎度お馴染みの光景だが、なぜか今回はいつもにも増して候補者数が多い。コロナ・ウイルスの感染拡大が第2幕を迎えようとしている最中での都知事選である。泡沫候補者の乱立ぶりを見るにつけ、我が国の民主主義が辿り着いた終着点を見せつけられている思いを強くしている。

 善し悪しは兎も角として、現職の小池百合子知事に対抗し得る候補者がこの国に存在するとは到底考えられない。前回都知事選は人々の記憶からかなり遠のいたと思うが、候補者公認のごたごたで自公与党は総力を挙げた選挙戦に敗れた。「メンツとごり押し」を前面に掲げて戦った結果、現職の自民党衆院議員だった小池氏に敗れた。

 その総括や責任の所在も明らかにならないまま、毎度お馴染みの「現状容認」で小池知事を取り込むことに舵を切った。それはそのまま戦っても勝てないとの現状認識と、形振り構わず有効策に飛びつく与党体質を剥き出しにして、何となく現職の小池知事に近づく方が無難で得策だとの打算そのものだ。

 その本音は本音として、もう一方では最大政党と与党としての対面がある。安倍一強が名実ともに現実化した現在、我が国の最大自治体であり首都でもある東京都知事選に何もせず指を咥えているという選択肢は誠に無様である。当落は兎も角として取り敢えず候補者を擁立して、選挙戦を戦うというポーズを示さねばならない。

 この都知事選が図らずも見せつけているのは、最早形骸化した骸を示す民主主義という制度そのものであるように思う。民主主義の原理・原則が逆用され、国民や都民の意思をあざ笑うかのように得票率というマジックで政党助成金という名の血税を食い物に出来るのである。敢えて言うがどう間違えても国政や都政にはか細い針1本程度の影響もない。

 誰が何と言おうが現職小池都知事の当選は揺るがない。地球が逆回転を始めたとしてもその事実は揺るがないだろう。殆どの都民や国民は誰しもがそう思い、確信している。現実論の上に立てば都知事選そのものが不要でもある。何ゆえの選挙か目的が判然としないままに明5日(日)東京都知事選挙は行われる。

 重い病気を持つ高齢者は少し距離がある投票所へ行けない。選挙が本来の選挙としての意味を有し、政策論争が活発化しての選挙戦であれば、自腹でタクシー代を支払ってでも投票所へ出向くが、今回の都知事選はそれに値しない。病人の高齢者は告示と同時に無投票を決め込み、冷ややかに結果を見るだけである。