獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

都知事選後記

 誰しもが予想した通りの小池百合子都知事の再選である。選挙戦ばかりでなく、選挙という民主主義の大原則そのものが本当に必要であるのか否かさえ、怪しく見える東京都知事選挙であった。毎度お馴染みで新鮮味に欠けるテーマだが、選挙そのものより民主主義の制度の「嘘臭さ」ばかりが目立ったと言わねばならないだろう。

 いやしくも選挙戦という以上は、思想・信条や誰かと誰かが戦わねば意味を成さない。今回の東京都知事選挙でそれらのテーマが争われたと感じる都民が何人いるだろう。重症患者であるという病状を抜きにしても、投票所まで足を運ぶ必要性がどの程度あっただろうか。例え健康体であったにしても、多分私は棄権したであろうと思う。

 そもそも制度や仕組みは有権者である国民や都民のためにある。そんなことは小学生でも分かる理屈だが、その前提がボロボロに崩れて久しい。皆が分かっているのだが何故か誰もそれを修復しようとはしない。「空念仏」や「空題目」を信じてはいないのに、膨大な費用を費やして誰もその痛みを感じないのである。

 今回の東京都知事選挙で何を目的に、何のために選挙を行うかを内容を伴って明確に説明できる人がいたら是非お目にかかりたいと思う。単なる"飾り物"の建前で屁理屈を捏ね回すのはいい加減うんざりである。嘘臭い制度の上に屁理屈を乗せて、それでこと足れりとするのはこれまた嘘臭い為政者の常套手段だ。

 再選された小池百合子都知事いちゃもんをつける魂胆は全くない。いい加減きわまりない国政や都政を云々するつもりも毛頭ない。そんなことは世の中に大勢いる暇や退屈を持て余している御仁や、評論家という職業の奇特な方々にお任せすればいい。そんなことより現代社会でどの程度の意味を持つのか疑わしい民主主義とその制度である。

 今回の都知事選でも20人以上の候補者が乱立した。これらの候補者は何を目的に選挙に出てくるのか。万に一つも勝ち目がないと分かっていながら、それでも揺るがない足場と実績を持つ現職知事と戦うというのである。誰がどう考えても頭が可笑しいとしか思えない現象が現実だから、実に不思議千万である。

 政治の常套である政党もまた不可思議である。特に野党と称される弱小勢力は特に不思議である。過去に何度も実証されている事実を無視して、懲りもせず同じ顔を出馬させる。鼻から当選させる気がなく、それゆえに勝手気儘な無責任論を述べて恥じることがない。それでも「政党助成金」という名の血税を存分に浪費できる。

 当選する気がない候補者とそれを堂々と支援する無責任野党、それらのどこに民主主義の正当性があるのだろうか。価値も、存在意義も、とうの昔に失っている屍が列を成して喚き合う制度を見せつけられて、この時代に希望を見い出せるだろうか。打算ばかりが一人歩きする東京オリンピックパラリンピックの悪夢も醒めやらぬ中での都知事選であった。

 コロナウイルスが猛威を振るう中で首都東京は何を目指してどこへ向かうのか。それは私には分からない。後どれほどの時間を生きられるのか何一つ保証はないが、過ぎていく時間の色を惜しみながら訪れる「明日」を注視している。天気同様に明日は分からない。気象庁スーパーコンピューターを駆使しても、正確な明日は予測できない。

 都知事選の投票に出向いても、出向かなくても、今日の天気と明日の天気は変わらない。可笑しく怪しげな民主主義という化け物が、時代を蹂躙して闊歩する様相は変わらないだろう。安倍政権と小池都政も不動であろう。この国の民主主義もまた誰も変えようとせず温存されて、次世代へと連綿と受け継がれるのだろうか。