獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

黄昏のワルツ

 タイトルは私がこよなく愛する音楽家の一人、加古隆のアルバムに収録されている彼のオリジナル曲の題名である。つば広の帽子を手放さない彼の後ろ姿のように、日本人ばかりでなく東アジア民族に広く共通する「そこはかとない哀愁」感が私は好きだ。加古隆は一つのジャンルで捉えるのが難しいミュージシャンである。

 加古隆と最初に出会ったのは70年代初頭の「新宿ピットイン」だ。と言っても2Fにひっそりと存在していた「ピッイン・ニュージャズ・ホール」である。当時アメリカで注目されていたジャズの新しい流れが我が国のジャズ界にも及び始めた頃である。有名・無名を問わず色々なミュージシャンが出入りしていて、当時無名だった彼もその一人だった。

 裕福な家庭に生まれた彼は、学生時代からピアノの名作としてスタインウイーと双璧のベーゼンドルファーの名器を愛用し、数々のオリジナル曲を書いていた。全く無名だった彼を一躍有名にしたのがNHKの大型ドキュメンタリーで、シリーズ化された傑作映像に加古隆独特の繊細でかつ迫力に満ちた楽曲が重なって放送された。

 感性豊かな人なら誰でも、一度耳にしたら忘れ難いメロディーラインを持つ加古隆の音楽性が、大編成のオーケストラ・サウンドに乗って全国に流れた。近年はテレビのドキュメンタリーを離れて、映画音楽などでも知られるようになった。活躍の場が変わっても、加古隆はやはり加古隆である。私は変わらぬそんな彼の音楽性が大好きだ。

 「十人十色」と人は呼ぶが、人間は実に様々である。咲き乱れる花々の如くに色や形がそれぞれ違う。存在感豊かに他を圧倒するものもあれば、注意して見ないと気づかないような小さく可憐なものまで色々だ。自然界は人智が及ばない妙味で絶妙の演出を見せる。音楽の世界や歌の世界に数多く登場するのは「夕日」だ。天地を赤く染めて儚く消える夕陽は誰しもの心を惹きつけて止まない。

 「黄昏」はそんな夕陽の前の序曲だ。太陽が西に傾き始めて、青空や雲の色が微妙に変わり始める淡い時間帯である。無為に空を見上げても気づかない儚く短い時間だ。同じ光景を目にしても、そこに何らかの感動を見出し、感じるには繊細な感性が必要である。歌や音楽はその多感な神経の震えから生まれる。風の香りや光の影を感じる感覚なくして、感動を実感するのは困難だ。

 普通の事象が普通に過ぎ去るのも人生である。黄昏の儚さに人を想い、沈む夕陽に人を恋うるのもまた人生だ。美しいものを美しいと感じて、悲しさに身を震わすゆえに、人生は歓びが爆発する。喜怒哀楽の色濃いドラマを実感できる。己の加齢の精にして面倒だからと"不感症"を決め込むのを止めてみませんか。「爺臭い」「婆臭い」人生は自分ばかりか、誰をも楽しくはしないのである。

 美しいものを美しいと感じて、悲しいことに惜しまず流す涙が、人の世に彩りを添えることに思いを致し、言葉を選んで見ませんか。「黄昏のワルツ」や「夕焼けシンフォニー」は誰にも分け隔てなく訪れる。それに気づいて感じることが、今日と明日を印象深くするのである。折角の今日と明日、折角の人生だから、少しでも実りあるものにしようではありませんか!!