獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

昨日・今日・明日

 昨日は暑かった、そして今日もまた暑い。多分明日も暑いだろう。毎日何気なく感じる率直な感想である。多くの人が同じ思いをしているだろう。それほどに今年の猛暑は凄さがある。夏は暑いのが当たり前だといわれて久しいが、春夏秋冬の季節の流れとは別の夏があるかの如きである。

 今年はコロナ騒ぎで街中ばかりでなく、海や山の様相も大きく様変わりしているらしい。いつもだと大方の季節が予想できて、多少の違いはあっても許容範囲内に収まって大差はなかった。21世紀は戦火がなりを潜めている代わりに、自然が怒り狂って人間社会に報復している観がある。"身から出た錆び"と訳知り顔をして、取り澄ましている場合ではない。

 冬は暖房、夏は冷房が当たり前になって、人間生活から何やら自然が遠のいた。身近にある自然を無表情に見過ごすことが増えたように思う。物言わぬ万物にも営みがあり、私たちの体や心が熱くなったり冷たくなったりするのと同様に、目には見えずとも命の営みが繰り返されている。近代以降になって人間は増長し、それらの鼓動に鈍感になった。

 全てのものを支配できるが如くに勘違いして、何かにつけて自己中心である。立ち止まり、振り返ることを忘れたかのように、ただひたすらに前へ進もうともがいている。前へ進んだその先に何が待ち受けているかを思い遣ろうとしない。桁外れの暑さがもたらしたものは、私たち一人一人の"自画像"ではないのか。

 例えその自画像が美しかろうと、或いは醜悪であろうと、私たちはそれぞれに自分の顔に責任を持たねばならない。科学技術を駆使して整形し、別の顔になったとしても自分自身が変わるわけではない。当たり前のことが当たり前だと認識されず、ややもすると小手先で誤魔化そうとする。誤魔化すことが先進的だと又々勘違いされて、人間は競って誤魔化しという名のデタラメに精を出してきたのではないか。

 自然は言葉を持たない。何も言わず、何も語らず、ただ実力行使するのみだ。暑いと嘆くのは容易だが、何ゆえの猛暑なのかに思いを致さねば、猛暑は更に酷暑に発展するだろう。昨日の今日ではない明日が必ずや訪れるであろう。そんな気がする昨日・今日である。