獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

馬鹿げた自民党「草競馬」

 連日マスコミが伝える自民党総裁選に関するニュースに接して、世の中には何と馬鹿げたことが有り得るものだと妙に感心している。とうの総裁選立候補予定者も予定者だが、それを如何にも重大ニュースのように報じて恥じ入る素振りも見せないマスコミ各社にも、同様の厚顔ぶりに感心する。

 この国はつい一昔前、二昔前の常識や節操と言ったものが全く通用しないようだ。そればかりか「恥を恥と思わない」風潮が慢性化して、むしろそれが"当たり前"の行為や行動になっているようだ。時代の遷移といって何らの疑問も抱かない世間にも、少なからず疑義を感じるのは旧世代の高齢者ゆえか。

 安倍総理の突然の辞任表明で蓋が開けられた自民党総裁選だが、候補者が正式な届け出を済ます前に選挙の大勢が決するのは最近の恒例だ。善し悪しは兎も角として安倍現総理が登場してからは、事実上ライバルになり得る人物が見当たらない。それでも何とか与党自民党の総裁選の様相を保持してきたのは、偏に極度に取材能力を失ったマスコミの恩恵だ。

 現在のマスコミ各社は大学を卒業したばかりのホヤホヤ新人記者が、定石通り政府機関を回って発表されるネタを掻き集める使い古された手法で取材が行われている。悪いが一言で言えば、凡そ取材という言葉に値しない幼稚なニュース・ソースが大手を振って通用している。その程度の"取材ごっこ"なら小中学生でも十分やれる。

 取材する側がそうなら、取材される側もこれまた同レベルの"幼稚な遊戯"に終始して、「持ちつ持たれつ」の蜜月関係を演出して見せている。この"悪ふざけ"とも言える「表向きの論理」を見せつけられている私たち国民は、一体全体何なのであろうか。まるで国全体が阿呆らしい「草競馬」の渦中にいるような錯覚さえ覚える。

 自民党総裁選に話を戻せば、誰がどう見ようと最後に取り沙汰された菅義偉官房長官の優位は揺るがない。主流派閥の清和会(細田派)を始め主力派閥の多くが早々に支持を表明して、その時点で既に事実上の自民党総裁選は終わっている。なのにあれやこれやと拡大解釈してソースの枝葉を広げるのはいつものマスコミ手法だ。端的に言えばネタ不足を暴露しているだけである。

 それにしても情けないのは他の2候補である。逆立ちしたって勝ち目がない選挙へ敢えて出馬して、その"バカさ加減"を満天下に披露して憚らないようだ。身内の自派以外誰一人支持者が広がらない現実が認識できないのだろう。お気の毒に最早認知症末期の症状を満天下に曝している。賞味期限どころか品質保持期限もとっくに過ぎているのに。

 あまりにも見事な"バカさ加減"に、若しかしたら裏で巨額の現金や利権が蠢いて予定したシナリオ通りの"草競馬"を演じているのではないか、そんな素朴な疑問さえ脳裏をかすめる。何せつい先頃前法相が派手な現金買収をやって話題になったばかりである。今やこの国は「何でもあり」国家で、その手法を普及させたのは他ならぬ安倍現総理である。

 元々「何でもあり」は与党自民党に古くから根付いていた。けれどもそれはあくまで裏舞台での話で、国会議員会館で重い札束がやりとりされてもそれがニュースになることはまずあり得なかった。政治の裏舞台ではごく当然の常識であったのだ。闇社会には闇社会の節操というものが存在していた。

 政治の舞台で垣間見え隠れする"真実"にどう肉薄するか。それをどう使い分けるか。それが取材する側と取材される側双方の論理であり、倫理でもあった。権力を目指す人間の熱く生々しい息づかいをどう伝えるか。それが取材者のキャリアであり能力であった時代は遠のいた。公然と買収劇が展開される時代になったのである。

 どう格好つけても"アホバカ丸出し"のその他候補が、自民党総裁選で勝利することはない。その分かりきったシナリオを恥ずかしげもなく演じているその他総裁候補者は、悪いが言わせて貰うとこれでも国民の負託を受けた国会議員である。この程度の人物を国会議員に選んだ有権者の国民が居るのである。その現実を目の当たりにすると、金科玉条の民主主義が途端に色褪せて見える。