獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

政治家の資質

 安倍長期政権が突然閉幕して、ほぼ同じ陣容の菅新政権が誕生した。ほぼ同じ顔ぶれなのに、菅新総理肝入りの政策や施策が早速動き出した。これまでの歴代政権でも見られた現象だが、何かしら違うと感じるのは高齢者の"早とちり"であろうか。改めて指摘するまでもなく、我が国の歴代政権は良くも悪くも深窓育ちの"お坊ちゃま"が率いる「世間知らず政権」だった。

 マスコミが盛んに囃し立てる「苦労人」に、菅新総理が該当するのかどうかは真偽が定かではない。マスコミの常套手段というのがあって、新総理が誕生すると決まって乏しい材料をかき集めて無条件に"持ち上げる"のがお好きだ。無関係な人間でも赤面するほど"褒めそやして"、一旦スキャンダルが持ち上がると途端に奈落の底へ突き落とすのが、どうやらマスコミの「定番」であるらしい。

 同じ轍に乗せられるのは好まぬので、世のマスコミと同じ目線で新政権を論じても意味がない。多くのメディアが伝える情報にどの程度の信憑性があるか、それ自体に大きな疑問を禁じ得ないので、私の論評は色々な面で異なる解釈と色合いを示すことをお断りせねばならない。世に「肌合い」という言葉があるが、人間関係も情報も直接五感で確かめたものに勝るものはないと思っている。

 余談はさて置いて菅新政権に関わる政治家の資質だが、この問題は想像以上に間口が広く、かつ奥行きが深い。全体像を解明するのが容易ではないので、特徴的な概略を述べるのに留めたいと思う。我が国の内閣総理大臣とそれを取り巻く各大臣は、殆どが例外なく深窓育ちの"お坊ちゃま"と"お嬢ちゃま"である。この世に生まれ落ちた時から、現在の地位を約束されたような人たちが少なからず居る。

 「所得格差」に加えて「教育格差」まで云々されるご時世だから、当然の成り行きとしてそうなっていると言えばそれまでだが、それがこの時代の「常識」であるとするなら、どんな努力も及ばない「岩盤格差の時代」と言わざるを得ないだろう。手厚い「既得権益」に守られて、努力らしい努力をせずとも人並み以上の豊かな生活が手に入る。その豊かな家庭に育った人たちに、そうでない庶民の生活感覚が分かるだろうか。

 我が国政治の根本に横たわっているズレは、まずこの生活感覚の違いである。何らの苦労を知らずに育った人たちが、日々の暮らしに追われる庶民の意思を代弁するなど凡そ不可能である。政策を議論する前にこのズレを克服せねば、如何なる優れた政策も無用の長物と化す。代議制民主主義の根本を見直さねば、幾度政権交代が実現したとしても同じパターンの繰り返しに終始するだろう。

 政治家の資質とは何かを、選挙の際の候補者のみならず有権者の側が真剣に考えねば、民主主義それ自体が行き詰まる。否最早行き詰まっているのが実情だろう。政治に期待することが無駄だと肌で感じ、政治に関心を失った結果が選挙の度に示される「低投票率」だ。最早政治は国民のためのものではなく、既得権に連なる一部特権階級を潤す仕組みになった。そこに生じる膨大な利権を求めて、巨額の現金が足跡を残さず飛び交っている。

 カネと既得権益を手にする一部の特権層だけが立候補する選挙制度の弊害をどう修正するか。それは庶民感覚を認識して「当たり前のこと」の是非を考え得る、そんな宰相以外では実現不可能だ。人間がしっかりと地に足をつけて生きている、富める者も貧しい者も同じ地球人であり、同じ日本人であることを理解し得る人間でなければならない。これまで内閣総理大臣の地位を得た人で、この条件を真に満たした人が果たして居ただろうか。

 口から先に生まれてきたのであろうと想像させる「口達者」ばかりで、実行する気もないのに巧みに嘘を重ねる現下の政治家諸氏を見るにつけ、この程度の議員を選ばざるを得ない民主主義の限界を痛感する。口から出任せの虚実ではなく、一片なりと血が通った人間らしい誠実さをこそ評価すべきである。それこそが政治家の資質の基本中の基本だ。これ以上「合法的詐欺師」に騙されるのはいい加減卒業しよう。

 「世襲」の"お坊ちゃま"と"お嬢ちゃま"は政界へ登場するのをご遠慮願う、そんな政治風土はいつになったら実現するのだろうか。人生の残り時間に余裕がない高齢者が、この世で呼吸している間にはどうも無理らしい。それならば精々"憎まれ口"でも叩いて、憂さを晴らす他ないのだろうか。