獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

詩人の秋と「レフトアローン」

 「秋の日のヴィオロンの」で始まるボードレールの有名な詩を持ち出すまでもなく、秋という季節は時として人を詩人にする。歌心や詩心のあるなしに関わりなく、何故か等しく人を感傷的にするようだ。長月と呼ばれる9月はその名のように月と過ごす時間が増える。真夏にはまだ明るかった時刻から夕闇に包まれる9月は、一層身に沁みるように日暮れが早い。

 往時に良く通ったジャズ喫茶で聴いた古いLP盤にマル・ウォルドロンの「レフトアローン」があった。ピアニストであるマルが歌の伴奏を引き受けていたジャズ歌手のビリー・ホリディーの死を悼んで、その直後に録音された追悼アルバムである。共演者のジャッキー・マクリーンのアルトサックスが奏でる哀調を帯びたメロディーが印象的で、日本人ジャズ・ファンには忘れ難い名盤となった。

 改めて思い出すと随分前で、月並みな表現で言えば"セピア色の記憶"そのものだ。数々あるジャズLPの思い出の中でも特に傑出したレコードの一枚である。レコードという言葉が世間から消えて久しく、今や年代版の古いLPを愛聴するのは一部のマニアだけになった。レコード・プレイヤーという言葉も死語になった現在、古いLP盤の思い出などを語っても失笑を買うのが精々だろう。

 当時多くの若いサラリーマンが乏しい給料を注ぎ込んで買い求めたレコードには、それぞれに忘れ難い思い出があると思うが、今風の"聞き流す"鑑賞とは違い真剣に音楽と向き合った気がする。それだけに身に沁みる思いや肌に残るインパクトが強かったように思う。私の心に未だ残り続ける「レフトアローン」もそんな一枚である。

 音楽が音楽としての存在感そのものにも、付き合い方次第で様々な違いがあると思うが、生活の一部という表現を超えた付き合い方が1960年代には多かったと思う。前後の50年代や70年代とは色々な意味で異なる状況が当時は強くあった。ビートルズが登場し、歴史的なロックの祭典となった「ウッドストック」があり、マーチン・ルーサー・キングが「平和大行進」で「私には夢がある」と語った時代である。

 誰もが"時代を共有"していた時代とも言えるが、「疎外された他者」の観が強い現代とは大きく異なっていた。そんな時代の音楽は単なる"通過儀礼"を超えて、生活のあらゆるシーンに関わり合う生活の一部であったような気がする。私が知る限りでも「レフトアローン」で人生が変わった人が何人もいた。結婚生活に絶望して死を選んだ末に思いとどまった女性がいた。

 親譲りの事業に行き詰まり、自殺を考え続けて辛うじて踏みとどまった中年男性もいた。音楽を通じた連帯感のようなものがあって、見知らぬもの同士が一枚のレコードに刻まれた一曲で身近な存在になり得た時代でもあった。深刻な生活の悩みだけでなく、恋する者の叙情でこの曲を聴いた男女も少なくなかっただろう。ビリー・ホリディーの凄さを超えて、マル・ウォルドロンとジャッキー・マクリーンの名をジャズの歴史に刻んだ。

 今も昔もジャズの主流である"ビーバップ"に想いを馳せて、今改めてCD化された「レフトアローン」を聴くと、矢張り心の奥底に染み入るものがある。時代を超えて心を揺さぶる名旋律は格別のものだ。秋の夜長に響き渡る「レフトアローン」は、この曲に想いを託した多くの人たちの心でもあるように、深く静かに夜の闇に消えていく。後に残るのは儚い感傷ばかりだ。この季節ならではのものだろう。

 死を思いとどまった女性の狂ったような熱い肌と、形振り構わず流した中年男性の嘆きの涙。北風に吹かれる枯れ葉の風情とは異なる、その異様さゆえに忘れ難い秋の一夜の感傷である。ボードレールの詩集「悪の華」は詩的だが、実在する人間模様は時に醜悪だ。その醜悪さゆえに時には「悪の華」となる。美しさゆえに儚く、そして儚きゆえに更に美しい。

 言葉や音階を弄ぶ"売るための"感傷もそれなりだろう。けれども人生の1ページを彩るものがそれだけでは、いかにも寂しい気がする。人生は一編の詩であり、そして一片の音楽だ。消えずに心に残るそれぞれの"宝"を、私たちはどれだけ彩り豊かに収穫できるだろうか。