獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

芸人&芸能人の国家

 人間長生きすると様々な体験をすることになる。それが善いのか、悪いのかは別にして、思わず吹き出しそうになる珍現象はまだ良いが、どうにも腹に据えかねる類いのものも少なくない。当節は事の善し悪しよりも"成り行き次第"で物事が判断される時代のようで、ごく普通の良識と思われることさえ真偽の程が定かでない。

 何かにつけて目に付くのが芸人と芸能人で、ネットニュースは大部分がそれらの人種の動向を伝えるものばかりだ。SNSへの投稿も同様で、公共放送NHKのニュースすら例外ではない。同局が年中行事だとする「紅白歌合戦」は言うに及ばず、大河ドラマや朝ドラの出演者が皇室や政局を差し置いてトップニュースになる。

 我が国はいつから「芸能国家」になったのだろうか。お笑いタレントを始めテレビに登場するタレントはすべて「芸能人様」という特殊な扱いで、彼らと彼女らが居ないと日も夜も明けぬ様相を呈している。何故か理由は分からぬが新型コロナウイルスの感染関連番組にも、学者や医師などの専門家と同列かそれ以上の存在感を示して若いタレントが登場する。

 大学院の専門課程で博士号か修士号を取得した知識人並みの扱いである。テレビ画面を通してそれらの芸能人タレントに向き合っている視聴者の誰もが、さもそれが当たり前の如くに受け入れて面白おかしい怪しげな発言に頷いているらしい。いつから芸人と芸能人が突出した知識層を形成したのか高齢者の私は知らない。訳が分からずただ驚くのみである。

 面白ければ良いとする安易な風潮が社会全体に蔓延し、誰も彼もがそれに飛びついて「バカ笑い」を歓迎しているとしか思えない。一概に低俗化を否定する気はないが、誰もが納得できる定かな根拠もない「バカ笑い」は低脳化の象徴である。国を挙げてそんな「バカ笑い」に嵌まっている現代が、どう見ても真っ当な人間社会だとは思えないのだ。

 大国アメリカの大統領選が間もなく決着する。"嘘つき"と"ほら吹き"が対決して、多分世界の嘲笑を誘うことになりそうだが、それでも芸人や芸能人が代役を務めることはなかった。善くも悪くも当事者が自分の言葉で、自分の主張を述べた。自分の口から発した言葉には責任が伴う。芸人や芸能人の訳が分からぬ"駄じゃれ"よりは、余程「真実味」がある。

 我が国の現状を無責任に展望すれば、やがて大学の教壇は"芸人天国"になり、低俗な笑いで人気を競う場に変貌するだろう。各自治体の首長も名が知れたタレントが相次いで当選して、住民が喜ぶ歓楽事業と観光化に税金の大半が注ぎ込まれるだろう。主役の政治は相変わらず"ノー天気"で、国会議員や閣僚は芸人や芸能人の「指定安楽席」化するだろう。

 国民は相次ぐ重税で疲弊し、生活基盤を失った人々が生活保護の受給に列を成すだろう。けれども破綻した地方経済に足元をすくわれた自治体に余力はなく、惨めな敗戦で幕を閉じた終戦直後と似た状況が再現されるだろう。口から出任せの嘘で誤魔化す風潮が一段と強まり、文字通りの「一億総芸人社会」が出現するだろう。

 我が国の財政は今般のコロナ禍で一段と逼迫している。しかし誰一人として「責任」を口にする国民は居ない。いざ鎌倉の修羅場が訪れようと低俗な"駄じゃれ"で誤魔化して、皆が知らん振りをすればそれが主流になる。周りに合わせて同調していれば我が身に「責任」が課せられることはないから、「笑って」居られるのである。「みんなで笑えば怖くない」のである。

 長生きして見聞きし、様々な事象を体験することが果たして幸せなのであろうか。暇な病人高齢者は何やら肌寒さを感じている。