獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

歌は世に連れ、世は歌に連れ

 季節の深まりと共に高層住宅のベランダから眺める景色も彩りを増している。好天に誘われて戸外を散歩したいと思うが、進行する肺癌が容易にそれを許してくれない。妙な咳が出始めて日中も酸素吸入の助けが欠かせなくなった。嫌が応にも余命を自覚させられる毎日だ。唯一ラッキーなのは寝たり起きたりの生活で、歌を聴く時間がたっぷりあることだ。

 木々の葉か色づき目に鮮やかなこの季節は、特別の思い入れがなくてもシャンソンを聴きたくなる。実際にスピーカーから音が出ていなくても、何故か不思議に耳の中でイブ・モンタンやエディット・ピアフが歌っているように聞こえる。長く生きた人生を日々音楽と共に過ごしてきた。和洋様々な歌と雑多に親しんできた。

 音を楽しむことに上下の隔てはないと勝手な哲学を持ち、難解で専門性が高いジャンルから大衆歌謡・民謡に到るまで、分け隔てなく付き合ってきた。いずれであっても自らの心の琴線に触れるものを、自分なりの基準でセレクトしてきた。蒐集した音源のLPやCD、DVDやレーザーデスクの類いは万単位になり、収納に困って殆どを処分した。

 音楽評論家という不思議な職業の人たちが居て、各種の音源について勝手な感想や評価をする。何の責任も負わずに他人の音楽活動を云々することに腹立ちを覚え、それらの評価と異なる実際の活動を始めようと会員制の音楽鑑賞団体を創設し、各地に大小様々なライブハウスを作った。差し障りが出ると迷惑するので実名は伏せるが、それらの活動から巣立ったバンドやミュージシャンが数多く居る。

 齢80となって酷使してきた耳が難聴に見舞われた。日常会話にも事欠く状態である。目も片方がグニャグニャで、視聴覚双方に重大な支障を及ぼしている。肺癌再発と転移に脅える毎日だが、それでも残り僅かな余命を音楽と過ごせていることに"得も言われぬ"幸せを感じている。自己流の耳のリハビリに始めた歌との付き合いが深まるにつけ、聞こえぬ耳に歌が届くのである。

 シャンソンの中でも数多く聴いてきた有名曲の「枯葉」や「バラ色の人生」などは取り敢えず敬遠して、余り有名でない隠れた名曲を聴いている。新旧色々だが、どうしてか新曲で印象に残る曲は殆どない。ノスタルジーを完全には否定できないが、それにしても「不作な時代」とでも言いたくなる様相だ。

 シャンソンの名曲の一つに「行かないで」という曲がある。随分色々な歌い手のものを聴いてきたが、最近は専ら3人の歌い手を聴いている。馴染み深い歌い手ではない人の歌唱に、ハッとさせられることが時々あるのは妙味だ。定番の金子由香利に加えて、女性歌手のカバーで名を馳せた徳永英明がいい。

 金子由香利は少し古い2004年のアルバム「人生は美しい」で、徳永英明は2013年の「STATEMENT」に収録されている。この2枚に加えてジャズのニッキ・パロット2013年「思い出のパリ」のシャンソン名曲群に加えられている。三者三様甲乙はつけ難いが、本流とも言うべき王道の金子由香利はいつ何時何回聴いても心に沁みる。

 徳永英明とニッキ・パロットは意外感が漂うが、どちらも忘れ難く、捨て難い味わいがあっていい。懐かしい部類では越路吹雪石井好子などが居たが、妙な癖が鼻について好きになれなかった。男性陣では淡泊な歌唱の芦野弘と、独特の雰囲気を持つ高 英男などが居たがご記憶の方は少ないだろう。

 タイトルの「歌は世に連れ、世は歌に連れ」は使い古された表現だが、オールドファンなりの感想を言わせて貰うなら昨今はこの言葉が死語化している感が否めない。善し悪しは兎も角として"古き良き時代"には時代を象徴し、時代を牽引するかのような歌があった。娯楽が多様化し、それに連れて個人趣味も多様化したまではいいとして、人の心を動かす名曲がなくなった。

 "豊かで便利な時代"と言われるが、その言葉を額面通り受け取るのは些か抵抗がある。豊かなのは「利益を得るための楽曲」で、人の心を揺り動かして時代を築く歌には随分ご無沙汰だ。どんなに時代が便利になっても、インスタント・ラーメンやレトルト食品のように、即席で「感動」は生み出せない。時代を生きる人々の感性が息づいて、本物と偽物を嗅ぎ分ける能力を持たねばならないだろう。

 舗道に枯葉が舞う季節になって、人の心に秋の情緒が蘇る時代は遠くなった気がする。大量生産されてすぐに廃棄される「商品楽曲」を押しつけられ、それに翻弄されている時代が何ゆえ"豊か"なのか。シャンソンの名曲「行かないで」を繰り返し聴きながら、ふとそんな感慨を持った。新しいものと、古いもの、本当に新しいのはそのどちらだろうと思わず考えさせられた。

 高層住宅のベランダにも、風に乗って飛んできた枯葉が1、2枚足元に落ちている。去りゆく時代、去りゆく季節、去りゆく季節の色合いに、多くの未練を残しながら私の命も間もなく尽きる。憂い多い人の世の常とは言え、過ぎゆくものはすべて儚い。万感を乗せてシャンソン「行かないで」は切なく響く。果たして"世は歌に連れる"だろうか。