獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

小便顛末記

 高齢者は身体機能全般が衰退しているので、日常生活の不便や不自由が一つや二つではない。三つや四つで済んでいる御仁はまだ恵まれている方で、私自身改めて数え上げるとその数の多さに驚愕する。よくもまあ生きているものだと感嘆せざるを得ない。不便や不自由は慣れることでかなりの部分緩和されるが、どうにも慣れるに到らない厄介なものもある。

 その一つが下々の話で恐縮だが、おしっこに関する様々な症状である。通常は別段気にとめなくても自然に尿意を催してトイレで排泄される。ところが一定の年齢に到達すると、大抵の人が「出過ぎるか」「出ないか」のどちらかに見舞われる。特に男性の場合は「前立腺肥大症」という大層立派な病気と付き合う羽目になる。

 医学的詳細は省くが要はおしっこが出なくなったり、出過ぎる病気だ。軽症の内は殆どそのまま放置されるが、次第におしっこが出なくなって血尿になる。便器が鮮血で真っ赤になって驚くが、その段階に到るとおしっこを出すのに悶絶する激しい痛みが伴う。多少でも出ている間はまだいいが、更に症状が進むと完全に出なくなる。医師の助けを借りねば抜け出すのは不可能になる。

 以上が「前立腺肥大症」の典型例だが病気なので当然個人差が大きく、比較的軽症で済む場合と、生死の谷間を彷徨う重症の場合とがある。私の場合は後者の重症であったので、末期症状の折には一滴の排尿も困難になって塗炭の苦しみを味わった。立つことが困難になって、床を這ってトイレへ駆け込む状態だった。思い出すだけで脂汗が滲むほど強烈だった。

 結果的に2度の内視鏡手術を受け、1度目の術後に削り取った前立腺の破片が尿道を塞ぐアクシデントに見舞われて、数回に渡り塗炭の苦しみを堪能した。それだけにたかがおしっことは言え人一倍思い入れが強い。その後も不思議に"ご縁"が深くて、未だに様々な症状と悪戦苦闘しながら付き合っている。大学病院の泌尿器科を悩ませた厄介な症状は、現在ひとまず「尿カテーテル」を挿入することで落ち着いている。

 重度の癌手術を連続して受ける無謀な選択の後遺症で、その後は深刻な「頻尿」に悩まされた。ほぼ1時間置きに繰り返す尿意で夜間は眠れず、睡眠不足が他の症状を誘発する如き状況が連続した。日を追って減り続ける体重は身長180㎝で52㎏まで落ちた。これ以上は医学的に危険領域だと医師に警告されている。「前立腺肥大症」の再発が確認されているが、肺癌再発同様に手術に耐える体力がない。

 薬効に期待する段階は敢えて見送って、 「尿カテーテル」で常時外部蓄尿バックへ流し込む非常手段になった。トイレへ通う必要がなくなって、取り敢えず深刻な「頻尿」から解放された。一時的に太い管を外すキャップも用意し、更には外出用の携帯尿バックも用意しようと思っている。催尿感が全くないので、排尿されているか否かが判らない心理的不安はあるが、他の有効手段がないので「慣れる」のが目下の課題だ。

 体の上部は鼻に酸素吸入の管が取り付けられ、下部には排尿カテーテルが挿入されて、細い透明パイプと太い透明パイプに繋がれたロボットの如くになった。そのいずれも2度の癌手術で体験しており、慣れから来る不思議な安心感があるが、どう口実をつけても快適な暮らしとは言い難い。無理に延命を図る心づもりは更々ないが、それでも未だ死には到らないらしい。

 どうやら命を繋ぐのには"上"も"下々"も関係ないらしい。トイレで至福の時を得られる御仁は、改めてそのことに感謝すべきだろう。人間の幸せは遠い理想郷にあるとは限らないのである。自分にとって必要欠かざるべき命の営みを、努々お忘れなきよう生きたいものと願っている。老婆心ながら……。