獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

物思う秋の加古隆

 曇り空の雲の合間から日差しがこぼれる午後は気持ちが良い。秋の陽は長い影を落とすので、いつもと違う景色が目に映る。丘の上のマンション8Fから眺める秋の午後はまるで印象派の絵のようである。薄いクリーム色の5階建て集合住宅が並ぶ向こうに、茶色の濃淡に彩られた帝京大学のビル群が見え、その手前や向こうに大小の森が点在する。遙か彼方に見えるビル群は淡い色合いだ。

 次第に西に傾いていく日差しを浴びながら、ガラス戸を開け放ったバルコニーはシューベルトのピアノ・ソナタが流れる。憂愁を含んでキラキラ輝くシューベルト初期の作品が、何故か秋の午後には似合う気がする。移りゆく季節それぞれに趣があるが、特に秋は太陽が大急ぎで通り過ぎていくので何かしらうら寂しい。

 加古 隆というピアノ演奏者をご存じだろうか。一時期NHKテレビのドキュメンタリー番組のテーマ曲を数多く書いたので、独特の濃密な音楽性を記憶されている方も多いと思う。私は彼が、70年代に新宿伊勢丹の近くにあったライブハウス「新宿ピットイン」2Fの「ニュージャズホール」へ現れて以来知っている。

 「ピットイン・ニュージャズホール」は元々ライブハウス「新宿ピットイン」の倉庫だった場所で、普段は出演バンドの楽器置き場として使われていた。日本ジャズ協会が紆余曲折を経て解散した後、その事務局長だった副島輝人氏の熱意で改装されて誕生した。支配人を務める副島氏の下に、有能な無名の新人達が数多く集まった。加古 隆もその一人である。

 膨大なLP盤やCD群は整理・処分してもうないが、現在も手元に残るCDの1枚に「いにしえの響き-パウル・クレーの絵のように」とタイトルされた加古 隆のソロ・ピアノのアルバムがある。"秋を告げる使者"に始まるこのアルバムは、彼が所有するピアノの名器ベーゼンドルファー・インペリアル290の響きが存分に堪能できる仕上がりになっている。

 ピアノに関心をお持ちの方であれば、どなたもご存じの名器スタインウェイがある。クラシックの宝庫ドイツを代表するピアノの二大名器だが、現在の主流はジャンルに関わりなくスタインウェイが使われている。少し甲高い澄んだ響きのスタインウェイと、重厚に響くベーゼンドルファーは、共に甲乙が付け難い名器中の名器である。

 現在の私は左耳の鼓膜に小さなチューブが入っているが、聴力は殆どない。数多くの音楽現場に関わっていた頃は、1小節聴けばピアノの機種やバイオリンの機種が判った。世界の名器の殆どを聴き分けられた。それが今ではピアノやバイオリンの音、ギターの音色さえ聴き取るのがやっとである。音階やコード進行が早いものは聴き取れないのである。

 それでもこの季節になると、数々のアルバムが心の中で響き合う。実際の音がなくても聴こえる音楽がある。同じ芸術分野でも、絵画が"静"だとすれば、音楽は"動"であろう。久々に加古 隆のベーゼンドルファー・インペリアル290の音を耳にし、アルバム・タイトルにもなっている「いにしえの響き」に暫し想いを馳せた。

 何ゆえ現在のこの国には「騒がしいだけの雑音」しか存在しないのかと、不思議に思った。音楽が音楽であることを忘れた時代に、加古 隆のベーゼンドルファー・インペリアル290は胸を揺さぶるように心地良く響いて沁みた。因みにこのアルバムは86年の、CBS/Sony時代にリリースされた"いにしえ"の作品である。