獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

「海街diary」慕情

 私は是枝裕和監督の映画「海街diary」が好きだ。BDに録画してもう何十回見たか数え切れない。80年に及ぼうとする長い人生で、少年期や青春期に見て記憶に残っている映画は少なくない。傷つきやすい多感な若者であったゆえに、周囲の友達が見過ごす映画や音楽に強烈なインパクトを覚えた記憶がある。

 長い人生そのものが次第にセピア色に変わっていく中で、それらの感動もまた薄れたり、消え去ったりしている。老人ゆえの自然現象と半ば諦めてはいるが、何故か湘南の海と鎌倉の街並みだけは鮮明に残っている。50年以上理由もなく通い続けた風景は、現在自分が住んでいる場所以上にリアルで身近に感じられるのだ。

 好奇心が趣くままに多彩な職業に身を置き、その時々に色々な想いを抱いて鎌倉の浜辺を歩き、鎌倉の路地を歩いた。生来他人と群れることを好まないので、いつも決まって一人である。ある時は銀座から、またある時は新宿の雑踏を抜け出して、昼と言わず夜と言わず車を走らせた。車窓に流れ去るいつもの風景に包まれて、時には一人涙を流しながら走った。

 別にどうこうという目的があるわけではない。湘南へ向かおうとか、鎌倉へ行こうと決めて出かけるわけでもない。殆どの場合は気がついたら、鎌倉の海辺に居たというのが正直なところだ。夢遊病者の如くと言うよりは、夢遊病者そのものだ。例外なく大船の元松竹撮影所の前を通り、北鎌倉の駅前を経て鶴岡八幡宮を半周して若宮大路由比ヶ浜へ向かうのである。

 国道134号線を右折して海岸線を江ノ島へ向かうのが定番で、途中の稲村ヶ崎の付け根に位置するレストラン「マイン」へ立ち寄る。夕刻であれば西日に照らされて見事なオレンジ色に染まる海岸線の街並みと、シルエットになった富士山が迎えてくれる。もう何百回と繰り返し眼にしている光景だが、毎度胸が熱くなり涙が出る。

 夕陽が沈むと目の前の江ノ島に灯りが点き始め、対岸の長者が崎が夕闇に隠れていく。逗子や葉山の街灯りが見え出すと、人影が消えた砂浜を歩くのである。頬を撫でて通り過ぎる風に季節を感じ、寒い冬場はダウンジャケットを着る。毎度同じことを繰り返すのは何故なのか。亡き母の胎内にいるような言い知れぬ心地良さは、黄泉国に近づいた現在もなお分からず仕舞いだ。

 今年5月に運転免許を自主返納した。現在は眼が「加齢黄斑変性」でグニャグニャ状態だ。進行が遅い片目の視力で日常生活を凌いでいる。「難聴」で片方の耳は聞こえない。車を処分したので鎌倉へ出向くのは困難になった。テレビを見るのも容易でなくなったが、それでも是枝裕和監督の映画「海街diary」は見ている。

 ノーベル賞作家川端康成邸に植えられて、天に向かってまっすぐ伸びた京都の「北山杉」も忘れ難い。庭に面した縁側へ腰掛けて、奥様が出された蕎麦の味も忘れない。鎌倉霊園の川端先生のお墓へお参りした帰路に、飛んでいた蝶は昨日のことのようだ。親交があった建長寺円覚寺の管長も他界された。"アジサイ寺"明月院へお邪魔することも、もうないだろう。

 あの街、この街、あの小道やこの海辺が、自分の家や庭のように目に映る。NHKの朝ドラでヒロインを演じた広瀬すずの初々しさと、湘南特有の明るい日差しが感じられて、その現場に居るような臨場感を覚えるのである。これから先の人生の残り時間が長くはないが、私の中の鎌倉は永遠に消えることがないだろう。映画「海街diary」も永遠だ。

 

 鎌倉は遠いが近い不思議な場所だ。映画「海街diary」の四人姉妹は今も私の中で息づいている。変わることなく、寄せては返す波のように…