獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

2020-01-01から1年間の記事一覧

行く年来る年

朝から快晴の大晦日になった。何はなくとも晴れた青空は気持ちが良い。昨日30日は雨の予報が東京多摩地区は小雪がちらついたそうだ。ガラス越しにベランダの向こう側を凝視したが、視聴覚に支障がある病人高齢者の目では確認できなかった。厚い雲に覆われた…

年の瀬

高齢者には凡そ実感が乏しいが何やら"年の瀬"になった。新型コロナウイルスの猛威に振り回されての情けない"年の瀬"である。世界は未だその新型コロナウイルスから抜け出せないが、感染拡大の第3波に突入しても我が国は依然として「非常事態」ではないらしい…

呑気な年末の呑気な緊急入院

年末の緊急入院が初めてではない"前科者"だが、今度もまた久しぶりにその再来となった。お世辞にも喜ばしいと言えることではないが、新型コロナウイルス感染拡大が第3波に突入した渦中での緊急入院は異例ずくめである。医者が緊急入院と判断した重症患者でも…

増える「喪中欠礼」減る「年賀状」

師走12月になって、暇な高齢者はそろそろ年賀状の用意を始める季節だ。「年賀状発売中」の赤い幟が風にはためいては居るが、何故か今年はその気になれない。例によって今年も「喪中欠礼」の葉書が増えた。比例して購入する「年賀はがき」の枚数が減る。否応…

再び日本語について

日本人の一人として、母国語の「日本語」に拘らなければならないのを恥じ入らねばならない。この世に誕生した時から身近にあって、誰に教えられるともなく身につけてきた日本語が怪しくなっている。日常生活の場面だけでなく、人間としての存在感が問われる…

緊急入院

再発肺癌の容態が急変して、急遽緊急入院との診断が下った。本日午後にベッド搬送されて入院する。そのため暫く、或いは永久的に、ブログをお休みにします。何卒ご諒承下さい。 獨庵拝記

黄葉前線と「新型コロナウイルス」

我が家の目の前の天然雑木林全体が黄色くなった。早々に葉を落として裸の枝を晒している木々もあるが、執念深く緑を残している木々もあり、隙間がない密林状態の森は様々な色が混じり合う多色模様の絨毯のようだ。風が吹く度にチラチラと枯葉が舞い、その中…

NHKの日本語に違和感

毎日のように視聴している公共放送NHKが可笑しい。以前から気になって再三指摘しているが、ニュース番組でのアナウンスが常識を欠いている。特に若い女子アナの言葉遣いが「滅茶苦茶」だ。長い歴史を持つ巨大組織で、数多くの管理職職員が居る筈なのに、誰も…

コロナ禍の師走

冬らしい朝冷えの師走がスタートした。「師も走り出す」と例えられた繁忙期に突入する季節なのだが、今年は何やら「様変わり」が著しい。まずもってその筆頭に挙げねばならないのが「新型コロナウイルス感染拡大」だろう。人間世界を覆い尽くして"ほくそ笑む…

老々また楽しからずや

長閑である。高齢者夫婦の日常は好むと好まざるとに関わらず、間が抜けて長閑である。当人たちにその意識は皆目ないのだが、当事者意識から離れて他人目線で眺めればいたって長閑である。やることなすことがスローモーで、立ち居振る舞いのすべてがヨチヨチ…

広い空の下に

世の中に妙なことや白々しい嘘が蔓延している。「国民の命と暮らしを守る」とする政府が、その言葉とは裏腹に「Go Toキャンペーン」を中止しない。危機的状況に追い込まれている観光業や飲食店などに配慮する余り、肝心の国民の命が"野ざらし"状態だ。経済を…

枯葉の風情

冬が目の前に迫り晩秋風景竹縄である。街中に「年賀状発売中」や「クリスマスケーキ予約受付中」などの幟が目立ち、この時期にしては温かい師走の風に吹かれて揺れている。早くもすっかり葉を落とした街路樹が多いが、黄色い銀杏は日当たりの善し悪しで色合…

人生の長短

人間の一生が長いか短いかは軽々に口に出来ない。人それぞれと言えば聞こえが良く耳障りが良いが、誰も自分のことなのに決められない。昨今の高齢化社会ではみんなが当事者で、"部外者面"できる人をまず見掛けない。実際の年齢と無関係にまだまだ生きるであ…

来る日と去る日

"光陰矢の如し"とは使い古された表現だが、老い先が秒読み段階に入りつつある高齢者には身に沁みる言葉の一つだ。何もせずとも今日一日が終わり、同様に何もせずとも明日はやって来る。毎度お馴染みの同じ事の繰り返しのようであり、その実同じ日は決してな…

嘘と軽薄と芸能人

この時代を象徴するキーワードは何だろうと考えたら、真っ先に脳裏に思い浮かんだのがタイトルの「嘘と軽薄と芸能人」だった。世に流布するニュース情報から、この三つを除外したら何が残るだろうか。特にテレビやネットが伝えている情報は、悪いが一昔前に…

小田純平を聴いている

外出が困難な病人高齢者は情報が乏しい。長く親しんだ旧来の生活パターンを替えるのが億劫で、知らぬ間に"時代遅れ"に陥っている場合が多いようだ。それだけ世の中との接点が限定されて、知り得た狭い視野で物事を見て判断している。最近そのことを再認識さ…

「Go Toキャンペーン」の命運

我が国政府が鳴り物入りでスタートさせた「Go Toキャンペーン」が早くも頓挫の雲行きだ。「Go Toイースト」共々暗礁に乗り上げた様相になった。そもそも誰が考え、誰が思っても可笑しげな制度を、大層の税金を投入して実施したのだから行き詰まらない方に無…

黄葉錦の季節

世に言う秋の風物詩は「紅葉」である。しかし、自宅の目の前の天然の森は紅くはならない。全体に黄色が主体で茶色系に色づく。しっかりと緑のまま踏ん張る木々もあって、ごく一部の紅色がアクセントになって、文字通り天然の「錦の絨毯」になる。ゆえに我が…

新型コロナウイルスの長い一日

タイトルを「新型コロナウイルスの長い一日」としたが、言うまでもなく一日は24時間と決まっている。実際に長い一日や短い一日が存在するわけではない。けれども人間生活は奇妙なもので、途轍もなく長いと感じる一日もあれば、何故か極端に短いと感じる一日…

大河ドラマの時代認識

現在放送中のNHK大河ドラマ「麒麟が来る」が佳境だ。人気度や視聴率には興味がないが、何とはなしに見ていて小首を傾げざるを得ない場面に時折出喰わす。描かれている時代が戦国時代だとしても、身分制度が厳格な中世に名もなき一般庶民が時の将軍や天皇と事…

コロナウイルス感染拡大第3波

連日報道される新型コロナウイルス感染拡大が、愈々第3波の様相を帯びてきた。政府は保守政権の面目躍如で業界寄りの姿勢を変えないが、戦時中の"大本営発表"の如く政府が面舵を切った暁には大抵手遅れになっている。政治を信用するも信用しないも個人の自由…

好き嫌い人生

人間生きていれば色々な好き嫌いが生じる。人それぞれなので各人各様だと思うが、理屈をつけても善悪や正邪と好き嫌いは一致しないようだ。味と言っても何も食物に限った話ではない。人間同士の場合もあろうし、生き方や職業についての場合もある。暮らしそ…

快晴の温暖日

世に"11月小春"という言葉はあるが、どう見てもとても11月とは思えない快晴の温暖日だ。地球が間違えたとしか思えないが、直接尋ねるわけにはいかないのが悩ましい。不都合などあろう筈がなく、健康でありさえすれば陽気に誘われて銀杏並木でも歩きたい衝動…

便利で不都合な社会

現代は須く超便利に出来ている。戦争を知る高齢者世代には凡そ考えられなかった現象が次々現実化されて、多少オーバーに言えば「夢の如き時代」が出現している。街の随所に食料品を売る店が溢れかえるほどある。自ら調理しなくても世界中のご馳走を口にする…

「旨い」と「甘い」

味がするのは食べ物とは限らない。私たちが日頃何気なく親しんでいる日本語も、実に様々な"妙味"に満ちている。同意語の数の多さと変化の多彩さは、永い年月日本人が創意・工夫を施してきたピカピカの「文化遺産」だ。けれどもそのことに気づいているのは残念…

歌は世に連れ、世は歌に連れ

季節の深まりと共に高層住宅のベランダから眺める景色も彩りを増している。好天に誘われて戸外を散歩したいと思うが、進行する肺癌が容易にそれを許してくれない。妙な咳が出始めて日中も酸素吸入の助けが欠かせなくなった。嫌が応にも余命を自覚させられる…

時代から消える「丁寧」

コロナ禍が一段と深刻さを増す現在は、物事万事から「丁寧」という言葉が消えつつあるようだ。何事も新型コロナ・ウイルス感染拡大防止のためという大義名分の前に、緊急時に用いられるスピードと効率が優先されて、本来あるべき「丁寧」に目をつぶっている観…

アンバランス社会

現在の世の中は居心地が良いようで、必ずしも居心地が良いとは言えない妙な世の中である。連日アメリカ大統領選挙の続報がテレビで伝えられているが、世界の最先進国とは思えない光景が目に映る。身近な我が国の政治状況を見ても、世界の先進国に列挙される…

軽い時代

20世紀後半から世界は「軽い時代」に突入したようだ。資本主義の断末魔「市場経済」によって、曲がりなりにも「豊かさ」を手にした人々は、その渦中で生じた「格差社会」や「社会の分断」をも手近なものとして受け取った。何故か"豊かさを実感できない"まま…

ものの順序と学術会議

世の中のことは須く順序がある。目に見える、見えないに関わらず、それで世の中の秩序が形成されていると言って過言ではない。でも現実にはそう思えないことが沢山ある。国会で話題が集中している「日本学術会議」のメンバー問題がそうだろう。凡そ学術と関…