獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

大河ドラマの時代認識

 現在放送中のNHK大河ドラマ麒麟が来る」が佳境だ。人気度や視聴率には興味がないが、何とはなしに見ていて小首を傾げざるを得ない場面に時折出喰わす。描かれている時代が戦国時代だとしても、身分制度が厳格な中世に名もなき一般庶民が時の将軍や天皇と事もなげに会ったり、話せるだろうか。封建制度渦中の生活が不自然に民主的である。

 今年の大河ドラマに限らないが、登場人物の衣装が真新しく汚れが見られないのも不自然だ。フィクションとは言え余りの時代錯誤は、まるで韓国制作の時代ドラマを見るようで白々しい。韓国ドラマの時代認識や衣装は事大主義のオンパレードで、歴史認識の有無に関わらず甚だしい時代錯誤の産物だ。

 他国ドラマは失笑して看過できるが、先進国と言われる我が国のそれも公共放送が同じ轍を踏んでいるのは如何なものかと思う。他番組で矢鱈とお笑い芸人を重用し"人気取り"に夢中なNHKらしいと言えば言えなくはないが、大枚の制作費を投じる看板番組だけにもう少し配慮が成されて然るべきと考える。

 情景描写にも配慮不足が目立ち、電気がない時代なのに夜間シーンが皓々と明るい。LED時代となった現代と大差ないくらい明るい。着古してよれよれの着衣や、歩き古して磨り減った草鞋や草履も見られない。多くの人の手が触れた建物の柱は、磨り減って丸くなるのが時代の真実だ。絵の具や塗料で誤魔化さず、個別の建造物や道具に語らせる1ショットがあっていい。

 フジテレビが制作した伝説のドラマ「北の国から」で、頻繁に登場した雪の大地を駆け廻るリスやキタキツネのキラキラした目には、名優も及ばない迫真の緊張感と大らかな印象が瞼に残った。自然とは何かを、リアルとは何かを示して余りあった。永い年月を経ても尚も人の心に残り続ける、「感動」の意味を考えねばならない。安直さの中に「感動」を見出すのは至難であることを知るべきだ。

 その時代の空気感が感じられれば忘れ難い一場面になる。ドラマの展開は役者の表情や仕草、台詞だけではないのである。貧しい時代の我が国の映画は、監督がそれぞれに吟味したスタッフを揃えて撮影所内に「○○組」と呼ばれたチームを編成していた。それぞれの分野のプロが乏しい予算をやり繰りして足で資料を集め、昼夜を問わず数多くのロケ現場へ足を運んで必死に監督の信頼に応えた。

 資材が乏しく誤魔化せないので見合った本物を苦労して探して、一瞬で画面から消える1シーンに精魂を込めたのだ。神経を研ぎ澄まして困難に挑み、観客の胸に長く残る感動シーンを生み出した。豊かで希望する資材が手軽に手に入る時代になって、フイルムが電子映像に簡略化されて、尚更"軽量ドラマ"が増えたのが気になる。

 簡単にトリックが実現できるゆえに、全ての作業が簡略化されて「名人芸や職人芸」が消え、"誤魔化して済ます"が当たり前になった。若いお笑い芸人の粗末な芸同様に、「目を背けたくなる」大河ドラマなど願い下げだ。この程度の大河ドラマを見るため視聴料を払っているのではない。NHKはもう少し勉強して、顔を洗って出直す必要がありはしないか。