獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

新型コロナウイルスの長い一日

 タイトルを「新型コロナウイルスの長い一日」としたが、言うまでもなく一日は24時間と決まっている。実際に長い一日や短い一日が存在するわけではない。けれども人間生活は奇妙なもので、途轍もなく長いと感じる一日もあれば、何故か極端に短いと感じる一日もある。どちらも同じ一日なのに、人それぞれで状況により感じるものが異なる。

 学生やサラリーマンの人など、予め決められた日程で活動する人たちにとっては、平日と休日の時間感覚が違うかも知れない。楽しいことがある時の時間と、苦しいことや悲しいことがある時とでは、大抵の人に共通して時間の経過が違うだろう。同じ時間、同じ一日なのに、時と場合によって人間の感性は微妙に揺れ動く。

 昨日21日からは3連休である。新型コロナウイルスの感染拡大が急ピッチで上昇し、多くの国民が「第三波」の到来だと気づいても、業界に配慮し続ける政府は口先で注意を呼びかけるだけで、何らの具体的防止策を打ち出せない。そればかりか逆に感染拡大を煽る効果が顕著な、自ら決めた「Go-Toキャンペーン」や「Go-Toイースト」の中止は都道府県知事に委ねて責任を逃れている。

 誰が見ても考えても矛盾する相反する施策と制度が、「経済を回しながらコロナウイルスを抑制する」との大義名分で、対応する医療の実態を無視して継続されている。あれこれ口実を並べることが政府の仕事になり、「専門家会議」なる便利な臨時機関へ丸投げして"下駄を預けている"。非常事態再来が現実化している現在、政府の最大関心事はどう言い逃れるかだ。

 新型コロナウイルスの感染は誰しも歓迎しない。個体差と症状により死に至る病気なのに、何故か不思議に我が国の為政者に感染していない。内閣総理大臣を始め各大臣など誰一人発病者が居ない。イギリスとアメリカの指導者は感染を発表したが、我が国と隣国中国などの指導者は幸か不幸か(?)無事である。

 世界に覇権を見せつけて憚らないお隣の中国は、不自然に新型コロナウイルスを発生させて、いち早く世界に先駆けて制御したと発表した。医療先進国なら納得できなくはないが、経済力と軍事力だけ突出した"超大国"の独裁体制の中身は一向に見えない。その発表を鵜呑みにしているのは、どこかの国の"軽佻浮薄"なマスコミだけだろう。

 権力を手にすれば一日を長くも短くも出来るらしい。もう一つの"超大国"アメリカの現職トランプ大統領は、選挙で負けてもその負けを認めない。それが民主主義だとの「屁理屈」が堂々と罷り通っている。この人の一日は多分1,000時間を超える長大さで、尚且つ自分の都合で自由に変えられるらしい。誠に羨ましい限りである。

 野望を秘めた新型コロナウイルスが突如姿を現して、覇権を目論む"超大国"の海域から「目の前のたんこぶ」が消えた。偶然にしては出来過ぎの作為と成果だ。赤い旗とカーテンの裏に何が隠されているのか誰も知り得ない。独裁国家が何をやり始めるか予測は不能だ。"嘘と偽善"が同居する世界の政治は、最早コントロールが難しいらしい。

 我が国の新型コロナウイルスの感染拡大が何を指し示しているのか興味深い。右往左往しながら結局は何も出来ず、何もやらない我が国政府の実状は、皮肉にも世界の政治情勢をそのまま反映しているようだ。口先と小手先であれこれ講じても、結局は何も変わらず、何も変えられないというのが、どうやら我が国と世界の結論らしい。

 それならば新型コロナウイルスの感染拡大がどうなろうと、それは"曖昧"を得意とする政治に任せて精々「Go-Toキャンペーン」と「Go-Toイースト」で楽しもうとなる。無理や乱暴な施策だと異を唱えても、結局のところ誰も楽しくならない。世は「赤信号みんなで渡れば怖くない」時代真っ盛りである。大いに遊び、大いに飲み食いして、挙げ句の果てに新型コロナウイルスに感染して下さいということのようだ。

 アメリカの現職大統領を見習って大いに長い長い一日を手にしよう。一日が24時間などと誰が決めたのだ。"法や決まりは破るためにある"との世評もあるので、カネのパワーで成せないものはない。"見かけ倒しの真実"が巣くう時代には、「悪徳の栄え」が必要かも知れない。その対比の彼方にようやく「真実」が姿を見せるのであろう。