獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

秋彼岸4連休

 前安倍政権が鳴り物入りで推し進めた「Go-Toキャンペーン」に東京が組み込まれて、目玉の経済支援策がスタートする運びになった。関係業界の期待する声とは裏腹に、早速東京都医師会長が反対意見をぶち上げた。賛否両論が激しく交錯する中で、コロナウイルス感染拡大対応策を主導してきた東京都の小池知事も、政府・与党の開放圧力に抗し切れなくなった趣である。

 下火になったり、また増加したりを繰り返しながら、コロナウイルス感染拡大は一向に出口が見えない。担当になった西村経済再生大臣の露出が目立つが、どう事態が変化しても誰も責任をとる気配はない。政府や業界の期待に反して旅行や外食を控える人たちが居る一方で、呑気にキャンペーンに悪乗りする無責任な輩も数多く居る。これらの人たちは"感染拡大"が一気に広がれば、多分決まって定石通り政府の責任を言うのだろう。

 当事者としての自覚を欠いて、都合が悪いことは皆他人のせいにするのである。相手の顔色を窺いながら対応策を練るが、お馴染みの「自己責任」が出てくることはまずないだろう。それがこの国の「常識」で、何事も"責任"という言葉の中に「自分」が加えられることはないのである。「自己中心」の旅行も外食も、困っている店や業界を助けるためという立派な理屈や理由が"幅を利かせる"のだろう。

 あれやこれやで賑やかな中での「4連休」のスタートである。誰が招いたわけでもないコロナウイルス禍で、経験したことがない窮状が拡がった。景気の落ち込みは史上空前となり、デフレを脱して好調を維持してきた経済は一気に冷やされた。売り上げ不振で立ちゆかなくなる業界が続出したので、それらの業界を支援しようとの政府の苦肉策である。現金をばらまく政府・与党お得意の手法では追いつかず、ついに国民挙げての国家事業になった。

 折しも季節は秋のお彼岸である。暑さ寒さはともかくとして、お釈迦様も阿弥陀様もお不動様も観音様も総動員して、墓の下の死者の力も借りねばならないほど事態は切迫している。何が道理で何が正義なのか、誰も分からぬまま右往左往する「Go-Toキャンペーン」である。コロナが怖いのに旅行して、コロナに脅えながら賑々しく外食する、何やら訳が分からない異例ずくめの4連休だ。

 彼岸の意義などこの際は問題外で、ともかくお金を使うことが唯一無二の「正義」になった。その一方で仕事を奪われて収入が絶たれ、その日の食事も事欠く家庭が増えている。客足が途絶えて売り上げがなく、従業員を解雇して家賃の支払いに困窮する店も続出している。お金を使うことが「正義」になっても、そのお金を得る手段がないのである。盾と矛が逆になったようなこの時代を、どう乗り越えられるかは誰も予測できない。

 静かに墓前で手を合わせる習慣は失われないが、平和で安らかなお彼岸も様変わりを余儀なくされている。未曾有の非常事態に直面しても世界の宗教は無力だ。我が国の仏教を展望しても、国民を救済しようとか手助けしようとかの動きは見られない。呆然と静観するのみである。お彼岸を機に宗教とは何か、仏教とは何かを再考せざるを得ないのは、果たして私だけであろうか。