獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

胡散臭い風習

 世の中には各種の「胡散臭さ」が"てんこ盛り"状態だが、どれが一番で、どれが二番と区分けするのが難しいほど溢れている。高学歴化が言われ出して、世に"インテリげんなり"が増えるにつれて余計煩雑になったようだ。胡散臭さの有力候補がここにも隠れていて、高学歴化が必ずしも知性度の向上につながるとは限らない。

 ほぼ無試験で誰でもが大学へ進学できる時代になり、無理に選ぶことや拘りさえ持たなければ殆どの受験生がどこかの大学へ入学できる。授業や講義に殆ど出ずに、面白く楽しいサークル活動に精を出しても、一定の年月在籍すればめでたく卒業だ。晴れて「学士」様だが、昨今はこの「学士」様がやたらに増えて価値が暴落した。

 全国に数多ある大学は、その名前を覚えるだけでも大変なほど急増した。少子高齢化が早くから言われているのに、世の趨勢に逆行して大学だけが急増している。人口が集中する大都市部ならまだ理解できなくもないが、急速に人口減少が進む地方都市にまで立派な大学が建設されている。昨今話題になった安倍総理の「加計学園問題」もその一つで、胡散臭い霧の彼方で地元自治体を巻き込んだ巨額の補助金助成金が躍っている。

 大学の新設が教育文化の向上に寄与した時代は遠い昔だ。現代は市場主義による利益を得る有力事業になっている。陰に陽に政治が大きな役割を果たし、国家予算と地元自治体予算が不動産や建設などの業界と大手企業に流れる仕組みだ。それは更に諸々の業界や企業に波及して、取り仕切るブローカーや政治家に巨額のリベートをもたらす。

 かつて教師という職業は「聖職」と呼ばれて世の尊敬対象だった。医師や僧侶などと同様に、利害を超えて人類に貢献し、崇高な理想を目指す清らかな職業であった。それが高々50年余りで一変している。今も理想を抱く教師が少なからず居るが、教育現場とそれを取り巻く環境が激変した。すべての制度と仕組みが「市場原理」に基づいている。

 少し前の時代までは胡散臭いこととして敬遠されたことが、正邪が逆転して現代は普通になり、当たり前のことになっている。誰もそのことに異議を申し立てないし、「世の中そんなものさ」と訳知り顔で得心している。コロナウイルスの感染拡大で最前線に立ち続ける医師や看護師の家族にまで「差別」が横行して居てもだ。

 本日は政界の与野党が共に"代表戦"と"総裁選"に突入する日だ。胡散臭いと言えばこれ以上の胡散臭さは世に存在しないと思われる「政治ショー」だが、戦う前から勝敗が決して居る選挙を派手に演出している。世の中の常識では考えられないことも、政治色で塗り込めれば「正当な正義」になる。最早この程度の胡散臭さは、胡散臭いとは呼ばないのが現代の"新常識"らしい。

 暇な高齢者が少しだけ知恵を絞れば、世の中「胡散臭いことのオンパレード」の様相だ。何が正しくて、何が正しくないのか、キチンと説明できる御仁が居たら是非ご教授を請いたいものだ。