獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

興味本位の時代

 現代社会は何事によらず興味本位に傾いているようだ。物事の本質を云々するのは"ウザい"と敬遠され、当節流行の"芸がない芸人"たちの流儀が持て囃されている。お笑いタレントだというそれらの芸人達は、朝から晩までテレビに登場して「面白くも可笑しくもない」うるさいだけのお喋りを披露している。

 この時代は何が何でも目新しいことが価値を有するようで、俗に言う"がせネタ"の類いが公共放送NHKをも席捲している風情だ。コロナ・ウイルスで非常事態宣言下の中、のんびりテレビを見ているのは認知症の高齢者と学校が休校になっている子供たち位で、誰がテレビに登場して何を言おうがその責任を問う人は居ないだろう。

 当たり前のことを当たり前に伝えるテレビは退屈で、それよりはスマホで興味本位なデマでも流せば世の中が盛り上がる。相手の人権などお構いなしに、適当な興味の対象を見つけてダシにすれば少しは退屈が紛れる。必要であれば見知らぬ女性を勝手に裸にして、その恥部を人目に曝すことも厭わない。とにかく面白ければ良いのである。

 当たり前のことが当たり前であってはつまらない。普通のことが普通ではつまらないのである。何かが当たり前や普通を超えて居なければ、他人の興味を惹くことが出来ない。常軌を逸していると言われても、デマ情報を流す本人に責任や痛みはない。まず自分が面白くて楽しければ善いのだ。フェークな情報ほど興味本位な他人が群がる。

 当節は誰がどこで何をしようと、喜んで飛びつくのはテレビや新聞、週刊誌などで、世間の人は胡散臭いと醒めた視線を投げかけるだけだ。そして次の瞬間には忘れ去る。流れるように通り過ぎるだけだ。フェークとリアルのどちらでも構わないのである。一瞬でも興味を掻き立てられればそれで満足する。

 世に氾濫するフェーク現象には根拠など最初から不要なのだ。価値基準は面白いか否かそれだけである。民放ばかりか公共放送までもが、競ってお笑い芸人に飛びつく昨今の状況は、言わずもがなにそのことを示して余りある。市場で売れるのは中古車ばかりではない。"大古芸人"も公共放送NHKでは立派に通用する。

 とうの昔に賞味期限が切れた"大古芸人"を、それでも面白がって歓迎する視聴者や国民大衆とはが問われねばならない。今日のフェークとリアルを招いているのは、紛れもなくこの興味本位な視聴者や国民大衆であるからだ。かなり昔に「大きいことはいいことだ」と言ったTVCMが批判されて中止になった。

 現代は大きくても小さくても、他人を傷つけても、面白ければそれが社会常識に変わる。興味と関心を集めて売れれば、それが唯一無二の絶対的正義になる時代だ。時代遅れの高齢者は戸惑うばかりである。