獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

公共放送NHKの疑問

 これまでも再三指摘しているが公共放送だというNHKが怪しい。誠に"奇々怪々"なのだが、それを言うマスコミも国民も存在しない。いい加減カビが生えている放送法という法制度を盾にして、凡そ「公共」という概念と縁遠いことを臆面もなくやり続けている。お笑い芸人やタレントを恥じることなく並べて、"チャラけた"安っぽい駄じゃれに終始している。

 「売れさえすれば何でもあり」の民放でさえ、関係者は恥じ入るだろう事を何らの抵抗感もなく披露して憚らない。それを文句一つ言わずに視聴料を払い続けている国民は、例えは悪いが独裁国家北朝鮮国民とまるで変わらない。この分だとその内アダルト向けの過激映像を流し始めても、多くの国民は黙して見入るだけであろう。

 現行の放送法は例え番組を見ていなくてもテレビがあれば、視聴料を支払わねばならない。根拠は公共放送だから国民生活に寄与しているという理由だ。お笑い芸人や"使い古しのタレント"を並べて、仰々しく「大バーゲン」をやっているようなものだ。それが何で公共の福祉や国民生活への寄与なのかさっぱり分からない。

 つい先日も認知症が疑われるNHK会長が、今年は無観客で看板のバカ騒ぎ番組「紅白歌合戦」を開催する旨を発表した。そもそもこの「紅白歌合戦」なる番組のどこに公共性があるのかを教えて頂きたい。公共放送がやらねばならない必然性が、その欠片なりとあると言うのならば具体的かつ詳細に説明すべきである。それが無条件に視聴料を徴収している側の最低限の責任だ。

 公共の福祉を云々するならば、お笑い芸人を多用していながら何ゆえ「寄席番組」がないのか。派手な衣装の音痴歌手が賑々しく登場する番組はあっても、何ゆえ音楽番組と呼べる類いの放送が少ないのか。音楽やドラマに共通するが、類型化は著しいけれど多様化と呼べる内容を網羅しているか。

 公共放送NHKの疑問は数多くあるが、どの番組を見ていてもチラッと画面に登場するのは決まって若いスタッフだ。古い歴史を有する組織であれば多様な人材が居て然るべきだ。けれども番組作りにベテラン中高年スタッフの影は見えない。役職者となってデスクに座っていても仕事がなく、それぞれに趣味や娯楽に精出して"暇つぶし"しているのだろうか。だとすれば、コロナで大変な世情をよそに誠に"優雅"である。

 何ゆえなのか理由は定かでないが、いつの頃からかお笑い芸人やタレントの起用が目立つようになった。若い世代から中高年者、高齢者に到るまで、幅広い世代に人気があると多分弁明されるのだろうが、それならば番組毎にクルクル入れ替わる気象予報士もお笑い芸人にすれば良い。殆ど当てにならない天気予報も、別の面で人気を得るかも知れない。

 更に皮肉めいた提案をするならば、ニュースや硬派の特番などに登場するNHKの局アナを廃止して、すべて下請けの芸能プロへ丸投げすれば良い。番組の品性は著しく低下すると思うが、それを国民が支持するとしたらあながち否定は出来まい。視聴料を強制的に支払わされているから仕方なくNHKを見ている人が多い現実を直視し、真に支持される放送を目指すなら幅広い視聴者の要望に添うべきだ。

 軽薄な人気に依存するならば、最も熱心にNHKを見てくれる幼児と高齢者の希望を取り込むべきだ。暇を持て余している高齢者向けのアダルト番組があっていいし、幼児向けの番組を大幅に増やすべきだろう。視聴料を強制徴収するということは、例え公序良俗に反しようとその要望に応える義務が生じる。それを反社会的と言うならば、人気さえ得られれば良いとする芸人多用とどう違うのか。

 公共放送としてのプライドや品性を保持し、多少無理があっても国民に知らせるべき、見せるべき内容を吟味すべきか。それとも名実ともに無差別に市場原理に委ねる民放路線に同化するのかが議論されねばならない。それに加えて重要なのは、放送法を議論すべき国会が有名無実であるという現実だ。現在の国会に放送法を知る議員は皆無で、事実上は「馬の耳に念仏」程度の認識と議論しか期待できない。

 それらの現実の上に胡坐をかいて、公共放送NHKは自らの最重要責務から逃れている。経営母体である視聴料徴収を民間下請けに丸投げしている。全体的には少数派であっても、視聴料の支払いを拒否している国民が居る。以前はNHKの営業職職員が直接集金に出向いていたが、"受信料拒否問題"が社会現象化して事実上困難になった。視聴者が納得する説明が出来ずに退職する職員が続出し、混乱する現場を収拾するため外部業者への丸投げで逃げた。

 公共放送を看板にするならば、他の官公署同様に自らの職務に責任を持つべきで、一番困難で辛い業務を外部へ丸投げしている現状を視聴者にどう説明するのか。最重要業務さえ下請けへ出して恥じない経営体質は番組作りそのものにも随所で見られ、今や下請けへ発注するのみの「楽ちん制作」が日常化している。制作現場の幹部職員は実際の仕事には殆どタッチせず、下請けプロダクションの接待飲食が仕事化していた現実があった。

 政権が肝いりの人材を送り込む経営委員や会長職は"折り紙付き"の素人で、公共放送どころか放送というメディアの内容や特殊性が凡そお分かりにならない。ここでもまた前述の「馬の耳に念仏」が登場する。この種の役員が頭の上に乗っかる番組の制作現場職員が、それで「やる気」を起こすだろうか。説明せずとも自明の理である。

 公共放送NHKを誹謗・中傷する気は更々ないが、ニュース報道を常とするマスメディアでありながら、その実情や内実は公表されることがない。多くの子会社が林立して、本体NHKの巨大な利益がそれらの子会社へ移されている。国会へ上程される決算書にはそれらの利益が記載されることがない。視聴者である国民の目に触れることなく、巨大組織で巨大な"闇"が蠢いている。

 我が国の国民性は国会での与野党の攻防同様に、「臭いものには蓋」をして顔を背けるのがお好きらしい。"奇々怪々"はそれゆえに大手を振って闊歩できるのである。