獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

嘘と軽薄と芸能人

 この時代を象徴するキーワードは何だろうと考えたら、真っ先に脳裏に思い浮かんだのがタイトルの「嘘と軽薄と芸能人」だった。世に流布するニュース情報から、この三つを除外したら何が残るだろうか。特にテレビやネットが伝えている情報は、悪いが一昔前には「がせネタ」と呼ばれていた類いのゴシップものばかりだ。

 そんな情報を誰が喜んで見聞きしているのだろうと考える間もなく、テレビやパソコンの画面に現れる膨大な情報は好き嫌いを無視して津波のように押し寄せてくる。「豊かで便利」だとされる現代社会は、好むと好まざるとに関係なく"余計なお節介"を押しつけてくる。古い話で恐縮だが、テレビ創生期には民放のCMにも慎ましい謙虚さがあった。

 遠慮がちに番組を邪魔しないようにとの配慮が成されていた。モノクロ画面で必要以上に目立たぬように、スポンサー企業、広告代理店、テレビ局それぞれに「気配り」が見られたものである。アチャコエンタツ金語楼、都蝶々などの芸能人はあくまで脇役に徹して、司会者に化けて"しゃしゃり出る"ことは決してなかった。"分相応"を弁えていた。

 「豊かで便利」な時代とは、食事時に生理用品や便秘薬のCMを堂々と流し、公共放送であるとするNHKまでが、食事タイムにコロナウイルスやインフルエンザの病原体画像を、来る日も来る日も繰り返して見せつける。誰一人快適だとは思わないコロナウイルスの検査画像を、視聴者が吐き気を催しても全くお構いなしに、「これでもか!!」と言わんばかりに長々と放送する。公共性とは政府を代弁して視聴者を不快にさせることらしい。

 嘘を代表するのが内閣総理大臣の言葉で、まるでアメリカのトランプ大統領を真似ているかのように「白々しく堂々」としている。その代表的な担い手が先に突然辞任した安倍晋三前総理だ。この人の言葉は万に一つでも「真実」があるのだろうかと疑っていたが、案の定「サクラを見る会」疑惑で総理当時の答弁が詭弁だと「化けの皮」が剥がれた。

 最高権力者の言葉が嘘の百花繚乱で、その当事者が「サクラを見る会」を主催しているのだから、これ以上の「笑い種」はないだろう。道理でテレビ番組を占拠しているが如き「お笑い芸人」が、一向に本職の"芸"をやらない理由が何となく判った。今や時代は面白可笑しい現実が先行して、俄仕込みの陳腐な"芸"では笑って貰えないらしい。

 出番が最後になったが、「軽薄」を代表しているのが我が国の公共放送NHKだ。民放で使い古された古参タレントを掻き集めて、実態がない雲を掴むような"人気取り"に夢中だ。自局番組に貢献したタレントは無差別に看板番組の「大河ドラマ」へ出演させて、その適否やドラマのストーリー展開とは無関係に失笑を買って、視聴率の足を引っ張っているのに気づかない。

 国家予算同様に自動的に得られる膨大な視聴料を貪り、あらゆる時間帯のあらゆる番組をお笑い芸人に明け渡して"丸投げ"だ。ついでにニュースもお笑い芸人に読ませれば、男女ともに局アナが不要になる。仕事をせずに高額給与を得ている古参アナを一掃すれば、大幅な経費節減が可能だ。更に"ど派手浪費番組"の代表「紅白歌合戦」を廃止して、心静かな大晦日にすれば更に経費流失を防げる。一片なりと"良識"が残っているなら、せめて視聴料の大幅値下げ程度はやらないと「認知症組織」だと自認しているようなものだ。

 時代が進化するというのは、必ずしも前へ進むことではないらしい。「豊かで便利」な時代と言うが、一体何が豊かで、何が便利なのだろうか。往時は中身がないことを「最中の皮」と呼んだ。コロナウイルス感染拡大が第3波に突入しているのが明らかなのに、責任追及されるのが怖くて未だ「非常事態宣言」を出せない"及び腰政府"は、若しかしたら「最中の皮」にもなり得ていないのではないかと思っている。

 「嘘と軽薄と芸能人」が支配するこの時代は、"真っ当なこと"や"良識"が住みづらい世の中のようだ。長生きするのことの是非を再検討しなければならない。それとも時流に合わせて無責任に「Go Toキャンペーン」で遊びまくり、「Go Toイースト」で飲食三昧すべきなのだろうか。国家予算の浪費に協力して、知らぬ顔を決め込む"当節流で決める"べきか、少なからず思案のしどころだ。