獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

2019-01-01から1年間の記事一覧

豊かさの幻想…年末光景

9連休の年末・年始がスタートした。いつも通りに新幹線や高速道路、空港などが賑わい毎度お馴染みの光景がテレビ画面に映し出される。表向きは世の中が何も変わっていないように見えるが、大きく様変わりしているものもある。いつの頃からか世の中の分断が進…

年末歳時記

年の瀬が一段と押し詰まり、27日(金)で多くの公共機関や企業が"店終い"した。恒例の年末・年始だが、今回は9連休になる。例によって交通機関や旅行会社は"かきいれ"になろうが、高齢者所帯は格別の変化がない。テレビが伝える混雑を横目に見て、いつも通りの…

夫婦この奇妙なるもの

私たち人間には物事にこだわりの強い人と、そうでない人とがいる。一見同じように見えても、結果で比べるとかなり大きな相違がある。どちらが良くて、どちらが良くないという話ではなく、物事の感じ方や生き方まで違うので、同一性を持たせるのは極めて困難…

群れて流されて

現代社会は好むと好まざるとに関わらず、否応なしに「群れて流される」時代のようだ。時代の趨勢に押し流されてどこへ行き着くのか分からないままに、大河に浮かぶ木の葉のように漂い流されていくままに身を任せている。多数派に同調していれば何か事が起き…

老人日記(2)

老人とて年の瀬が押し詰まると何かと気ぜわしい。恒例の病院通いは年末の休みに入る前にと誰しもが望んで、それでなくても混雑している待合室から患者が溢れている。9割前後が同類の高齢者で、元気そうな人も、しおれた花の如き人も、慣れた様子で診察の順番…

気づきの美学

世の中の物事はすべからく、気がつくか否かで見え方や感じ方が大きく異なる。豊かで便利だと言われるこの時代は、その豊かさと便利さに慣れ過ぎて人間性が後退しているようだ。代表例が暑さや寒さで、天然の気象条件に合わせて生活するのではなく、自らは何…

NHKとは何者ぞ!!

新年1月からNHKの会長が交代するのだそうな。以前から思っていたがNHKの会長って一体何をしているのだろうか。経験も知識もない全くの異分野から、安倍政権に指名されて突然公共放送NHKの会長になる。何らの知見を必要としない役職であれば、極論すれば一般…

移ろい去る季節の色彩

地域によってだいぶ事情が違うと思うが、東京は現在自然が最後の色彩を見せている。一際鮮やかな明るい黄色で彩った殆どの銀杏が葉を落とし、樹木は枝が剥き出しになって寂しげだが、最後の葉と思しき一枚一枚が軽やかに風に舞っている。辺り一面はさながら"…

年賀状の季節

今年もまた年賀状の受付が始まった。相次ぐ値上げで今年ははがき一枚が63円になった。高齢者はご多分に洩れず年々差し出す枚数が減るので、値上げの影響は全くない。年賀状を準備する前に「喪中欠礼」のはがきが届くのが恒例だが、今年は一枚だけだ。縁ある…

パソコンダウンの当たり年

人間も機械も同じように使い古せば色々なことが起きる。80歳の傘寿を目の前にした高齢者が使っている2台のパソコンは、両方共に2010年製のdellオーダーモデルである。なぜ同時期なのかはインテルのCore i5 CPUが出てすぐに買い換えたせいである。当時はまだ…

商業主義社会の横暴

商業主義の乱脈と横暴が眼につく。資本主義社会の宿命とは言え、利益を得るためなら何でも許されるとの風潮が蔓延して久しい。立法府も司法、行政も見て見ぬふりを決め込んで、警察が曲がりなりにも取り締まっている「振り込め詐欺」をよそ目に、文字通りの"…

老人日記(1)

老人の日常は単純だが結構忙しい。まず第一に健康状態が上げられるが、大抵は75歳辺りを過ぎると安定とは言い難くなる。少し注意して見ると毎日が「昨日と違う今日」の連続形で成り立っていることに気づく。当人は同じつもりでも、少しずつどこかが違ってい…

名残の黄葉(こうよう)

秋の風物詩は「紅葉」である。しかし、我が家のベランダから見える目の前に迫る小さな森は、雑木林が色づきさながら黄金色の錦模様だ。カレンダーは最早12月で秋は終わっているのだが、東京多摩の秋はまだ終わっていない。銀杏は殆どが散り急いだが、それで…

オーディオの愉しみ今昔

古い時代にはオーディオという言葉は使われず、日本人の多くは「ステレオ」と呼んで親しんだ。高度経済成長期に入る前の時代で、その後になって続々登場したコンポや単品のオーディオ機器とは全く異なっていた。単純に2回路の真空管アンプに2個のシングルコ…

音痴の時代

この度テレビで久々にアメリカのオーケストラ、フィラデルフィア管弦楽団を視聴する機会に恵まれた。その感想を書いたので、改めて音楽とは何ぞやという重いテーマと向き合わざるを得なくなった。改めて向き合わなければならないほど、音楽という芸術から縁…

音楽を楽しむ

高齢化と共に難聴が進行して音楽と縁遠くなった。最も身近なメディアのテレビから音楽番組と呼べる類いのものが姿を消して久しい。現在放送されているのは公共放送のNHKを含めて、言ったら悪いが保育園や幼稚園児を対象にしたような、"賑やかなだけの騒音番…

フィラデルフィア管弦楽団視聴記

人間長生きすると良いことがある。思いがけずもテレビでフィラデルフィア管弦楽団を視聴する機会に恵まれた。指揮はヤニック・ネゼ・セガンで、NHK音楽祭2019で来日した時の録画だ。この日のプログラムはラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」と、ドボルザーク…

「当たり前」の習性

人は人なるが故に厄介な生き物だ。「普通」とか「当たり前」という基準と感覚が一人一人異なる。生まれ育った環境の違いが最大原因として考えられるが、同じ家庭で同じ親から生まれた兄弟・姉妹でも違うから不思議である。他人となればすべてが違うのだから、…

師走という季節

12月になった。別にどうということもない季節の巡り合わせだが、高齢者が感じる昔懐かしい感じとは様変わりして久しい。まだ秋の気配濃厚な内から年賀状が売り出され、お菓子屋さんにはクリスマスケーキの幟旗がはためく。自然界は紅葉真っ盛りなのに、何か…

冬到来

カレンダーは11月最後の日だが、一足早く冬将軍がやって来た。今朝の東京は今シーズン最も冷え込んだ朝を迎えた。私が住む内陸の多摩地区は都心に比べて1~2°気温が低いので、今朝の気温は2°だったらしい。病み上がりの高齢者は無理して外へ出ることもないの…

秋の名残

降り続いた雨が止み久しぶりの青空が広がっている。雨に煙っていた間はよく見えなかった木々の彩りが、目に沁みるほど鮮やかに姿を現した。一口に紅葉と言っても、楓などの鮮烈な赤もあれば、銀杏のような鮮やかな黄色もある。自宅の目の前に拡がる小さな森…

芸能界と芸能人

時代が変われば世の常識が変わるが、変わらぬものもある。今も昔もスターを夢見て芸能界に憧れる女性群像である。華やかな世界で羽ばたきたいと願うのは多くの少女たちの夢で、芸能界が大衆化して身近になったので"我も我も"との思いが強まったようだ。 私は…

日本語の妙

日本語は誠に面白い。せっかく日本人に生まれながら、この最大の文化遺産に気づいていない人が圧倒的に多い。新しく指定された「世界文化遺産」には長蛇の列を作っても、一番身近にある文化遺産には気づかず、興味や関心もないらしい。 行政の仕組みがそもそ…

道連れ

一口に「道連れ」と言っても様々ある。一番身近な道連れは亭主や女房だろう。血を分けた肉親とは言っても、親や兄弟はやがて側から離れていく。幼少時には最も身近であっても、自身の成長とともに次第に距離が遠くなる。 それに引き替え夫婦という人間関係は…

雨上がりの晩秋

珍しく長い雨が上がった。朝方まで降り続いた雨が止んで薄日が漏れ出すと、色づいた木々の葉に残る雨滴が艶を帯びて輝き出す。ガラスの破片が飛び散ったようにキラキラと光って、息を潜めていた色づいた葉が急に生気を帯びたように、命のトレモロを奏で始め…

「桜を見る会」の笑いぐさ

安倍総理主催の「桜を見る会」が話題である。国会はまるでこの話題だけが国事・国難であるかのように、連日野党側の追求が続いている。それに便乗したマスコミが騒ぎ立て、毎度お馴染みの有識者とやらがぞろぞろ出てきて、勝手に"唯我独尊"の屁理屈を並べ立て…

消え失せた品格

この国から「品格」が失われて久しい。取り分け"国技"とされるスポーツの大相撲は、引退した横綱朝青龍を思い出すまでもなく、モンゴル勢の現役横綱白鵬の勝負が汚い。勝つためなら"形振り構わぬ"態度が再三眼につく。 「品格」を損なう取り口や決まり手を放…

晩秋の雨

今日は朝からの雨だ。気象情報によれば今シーズン一番の冷え込みらしい。目の前にある紅葉した森が雨に煙っている。ありふれた表現だが、薄墨を溶かしたように煙っている。近くの小さな森や林はぼんやり見えるが、少し遠い低い山は霞に隠れて見えない。 毎日…

愛する人に愛されて

人は誰でも愛を求める。親兄弟の家族愛からスタートして、友情と異性愛へと発展していく。決して特別のことではなく、誰しもが愛を求める長い旅路につく。求めなくても与えられる愛がある反面、求めても、求めても、得られない愛がある。喉の渇きにも似て、…

新撰組150年

今年も残り少なくなったが、幕末の京都で壮烈に生きた新撰組最後の勇士土方歳三が函館の地で死んで150年の節目の年だそうだ。私が住む東京都日野市は、知る人ぞ知る新撰組発祥の地である。鬼の副長と言われた土方歳三は今も一番人気で、市の恒例行事になって…