獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

豊かさの幻想…年末光景

 9連休の年末・年始がスタートした。いつも通りに新幹線や高速道路、空港などが賑わい毎度お馴染みの光景がテレビ画面に映し出される。表向きは世の中が何も変わっていないように見えるが、大きく様変わりしているものもある。いつの頃からか世の中の分断が進み、豊かな層と貧しい層の両極化が著しい。

 市民生活がどうであれ、アベノミクスに手厚く保護されている企業は空前の利益を貯め込んで涼しい顔をしている。その利益が誰かの犠牲の上に得られているとは、どの企業や団体の代表者も語らない。その利益を担っている社員に分配することさえ躊躇して、巨額の利益は眠っている。会社法の「内部留保」が誰憚ることなく大きな顔をしてまかり通っている。

 安倍政権と同様の「清和会」から誕生した小泉政権は、当時のアメリカ・ブッシュ政権に追随して「新自由主義」を取り込んだ。アメリカが推進する共和党政治のコピー化を、恥じることなく躊躇せず実践した。最大の改革が「労働者派遣制度」で、自由に働けるとの名目で社会保障がない労働者の「使い捨て制度」を導入した。

 現在我が国が直面している「貧富の格差」は、この小泉政権による「労働者派遣制度」が源泉である。企業にとってはこの上ない恩恵をもたらすが、実際に働く労働者は何らの保障もなく使い捨てられる「ボロ雑巾」扱いになった。人を人と思わない非人道的制度が、実効性のある反対運動がないまま成立したことを忘れてはならない。

 国政の場で何ら実効性を発揮し得ない野党は、総辞職して議員バッチを返上すべきなれど今日までその気配すらない。労働者の権利を守るはずの労働団体連合まで、事実上この「労働者派遣制度」を黙認した。政治の無力さと労働者団体のいい加減さだけを残して、この「労働者使い捨て制度」は我が国に定着した。

 とっくに化けの皮が剥がれている「アベノミクス」を表看板に、類い稀な"幸運の持ち主"安倍晋三総理の時代は"終わりなく"続く。古い常識論では考えられなかった「極右」政権が、これほど長く続くと誰が予想し得たであろうか。事あるごとにライバルと目される人物が消滅する"稀代の幸運"が、何故か不思議に安倍総理には付きまとう。

 自民党総裁選では前例がない自らが所属する派閥の代表者と競う「前代未聞」の事態を招いても、相手候補が病気入院で辞退した。自らが放棄した総理・総裁の椅子を再び手に入れるや、ライバルとなる有力者を徹底して叩き潰して遠ざけた。幸運が更に幸運を招き寄せる「安倍現象」が巻き起こって、気がついたら自民党内から有力者が消えた。

 民主主義を前面に掲げながら事実上の「独裁体制」を築き上げて、何もせずとも自壊した最大野党に持ち上げられるという皮肉が手伝って、モラルもマナーもない"暴君政治"を展開して憚らない。"代わるもの"がない独裁政治は、如何に「驕り高ぶって」も崩壊の懸念はない。社会正義や良識を闇に葬り、我が世の春の「桜を見る会」である。

 水面下で蠢く巨額の闇資金で名実ともに安倍政権は盤石である。「右にあらずんば政治家にあらず」との風潮が社会常識化して、国政ばかりか地方政治に到るまで右翼の子分が文字通り「ウヨウヨ」である。使い捨てされる「ボロ雑巾」労働者が世に溢れ、働けど働けど「豊かさ」とは無縁の"日雇い暮らし"が増え続けている。

 自民党政治アメリカ共和党に追随する「保守政治」であることは多くの国民が知っている。なれど思想的左右を問わずその自民党に代わる政権の受け皿がない。例え安倍政権を信任できなくても、他の選択肢がないのだから否応なく安倍政権を選ばねばならない。国会の裏舞台で如何なる権力闘争が繰り広げられても、安倍政権に"飼い殺し"されているマスコミは一切伝えない。

 かくして「豊かな者は更に豊かに、貧しき者はなお貧しく」の日本社会が形成されている。貧富の格差は教育格差を生み、"普通の暮らし"は際限なく拡大されて無数の悲喜劇の舞台になった。豊かな者は"見て見ぬふり"をし、貧しき者は事態を直視する余裕さえないままに暮らしに追われている。善悪の垣根は権力者の一存で自由に書き換えられる。

 日本人の誰もが願い目標としてきた時代が目の前にある。けれども「豊かで便利」だとされるこの時代に、少なからずの国民が「違和感」を禁じ得ないのは何故なのだろう。豊かでありさえすれば不正が正義に化けるトリックは、お隣の中国や北朝鮮でお馴染みだ。対岸の火事だと冷笑してきた私たち日本人は、今やそう言えぬ国民になった。

 嘘や偽装が公然とまかり通る世の中で、どうあがいても貧しさから抜け出せない多数の人たちが居ることを記憶に留めよう。世界に絶賛された「助け合いの国日本」は、どこへ消えたのであろうか。貧しくても誇り高かった時代の日本人は、一体どこへ行ってしまったのだろうか。伝統文化が失われた後に残る「豊かさと便利」って何だろう。

 2019年、令和元年が残り僅かとなった東京の片隅で、辛うじて2020年令和2年に命をつなぐことになりそうな高齢者は、葉を落として「枯れ木の森」の風情になった景色を眺めながら、ポツリとそんなことを思った。