獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

令和事始め

 新元号「令和」初の新年になった。と言っても殊更目新しいことがあるわけではない。昭和、平成と受け継がれてきた時代の延長線上であることは変わりない。それでも世代ごとに感慨は異なるだろうし、人それぞれに立ち位置や置かれた立場によって、感じ方や捉え方も違うだろう。

 新年の幕開けに当たって目出度いと感じる人もいれば、そう思わない人も居るだろう。兎にも角にもモノやサービスを売らねば話にならない時代だから、売って利益が得られる側と、その利益を提供する側とでは、立場が逆である。それでも等しく「明けましておめでとうございます」と挨拶を交わす。

 新年早々ややこしい話をしてもしょうがないが、考えてみれば不思議な話である。売って利益を得る側は一生懸命"売り込み"をして、買えばあなたが幸せになれますよと勧める。買わされる側は自分が得たカネを放出して、代わりにモノやサービスを手に入れる。それが悉くハッピーなことであると世の中に認識されている。

 "豊かで便利な社会"で、必要以上のモノやサービスを手に入れることが果たして「幸せ」に直結するのだろうか。過剰な食品やモノが溢れる世の中で、それでも「売らねば」経済が成長せず世の中の循環がうまくいかないのだという。だから無理矢理でも、必要がなくても、とにかく"買って"貰わねばならないらしい。

 かくして世の中は「楽しいこと」や「幸せなこと」を求める人たちが、賑々しく巷に溢れるのである。多くの人たちが同じような「楽しいこと」や「幸せなこと」を求めて、同じ行動をするので交通機関は混雑し、その狭間で交通事故や物騒な事件が起きる。それでも尚且つ多くのカネを費やし、くたびれ果ててでも「楽しいこと」や「幸せなこと」の夢を求める。

 お正月はとにかく目出度いのである。理屈を抜きに誰しもがひととき現実を離れて「桃源郷」の心地よさに浸れる。明日はまた現実に引き戻されるが、短いようで長く、長いようで短い"醒めやらぬ夢の時間"を共有する。穏やかな晴天に恵まれた東京は、今年オリンピックというもう一つ異次元の"夢の祭典"を迎える。

 何が目出度くて、何が目出度くないのか、良く分からないけれど、とにかく新年が明けて「令和新時代」がスタートした。そのことだけは紛れもない事実のようだ。