獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

年末歳時記

 年の瀬が一段と押し詰まり、27日(金)で多くの公共機関や企業が"店終い"した。恒例の年末・年始だが、今回は9連休になる。例によって交通機関や旅行会社は"かきいれ"になろうが、高齢者所帯は格別の変化がない。テレビが伝える混雑を横目に見て、いつも通りの淡々とした時間が流れるだけである。

 我が家は年末の恒例行事も近年は様変わりして、夫婦の共同作業だった大掃除も年明け80歳の傘寿を迎える家内が孤軍奮闘する。癌の病み上がり患者になって以来、少し動くだけで息切れが頻発するので体を動かす作業が出来なくなった。簡単な手伝い程度は出来るが、手足が動かず口だけが動く厄介者になった。

 10年ほど前までは若い時分に料理教室を手伝って、料理作りを趣味とする家内が二晩程度徹夜して正月料理を作っていた。息子が独立してからは夫婦二人だけなのに、七草を過ぎても食べられるほど作った。息子夫婦が加わる正月の食卓は賑やかで、今年の料理は味が濃いとか薄いとかで結構盛り上がるのである。

 楽天家で底抜けに明るい家内も寄る年波には勝てず、手首の骨折などが災いして手作りおせちを断念した。以来我が家のおせちは出来合いの折り詰め品に変わったが、それでも少しだけと言いつつかなりの品目を自分が作る。息子夫婦が持ち込むものもあり、東北と九州の郷土料理が加わるのである。

 文字通りの「喰い正月」になるのだが、食べることを最大の趣味とする私には生きていることを再確認する日々になる。年老いて肺癌と膵臓癌を患い、殆ど食事が出来なくなった数年前を思えば、正しく"夢のような"出来事である。生きてこの世にあることを断念した日々があったことを思えば、今日あることは想像すら出来なかった。

 お正月は何もせずとも誰しもに訪れる。ただ何となく正月を迎え、何となく正月を送る人も居よう。人それぞれにそれぞれの正月があり、歓迎されてもされなくても正月はやって来る。家族で海外へ出かけ優雅に休日を過ごす人も居れば、その日の食事もままならない人たちも居る。目出度いか否かは人それぞれだ。

 成熟した資本主義社会の現代は老いも若きも「消費」を促される。カネに支配される時代だから、必要の有無に関係なく物やサービスを買わねば社会が成り立たない。そんな時代に合わせて派手に消費するも良し、慎ましく倹約するもまた良しであろう。大切なのは誰のための正月であるかで、政府や企業のための正月では決してない。

 師走の街を吹く風も、暖かいか冷たいかは人それぞれである。嬉しくても、嬉しくなくても、もうすぐ誰しもに等しく正月は訪れる。それぞれの1年が過ぎて、新しい1年がスタートするのである。元号が「令和」に変わろうと変わるまいと、2020年はやって来る。ハッピー・ニューイヤーにするもしないも、自分次第である。