獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

夫婦の妙と食事

 世には色々様々な夫婦がいる。老いも若きも文字通り「百花繚乱」である。我が家は79歳と78歳の"くたびれ老夫婦"だが、現在のところ幸か不幸か元気である。55年を共に過ごしたので、世間で言う「エメラルド婚」に相当する。振り返らずとも感慨は色々あるが、生まれ育った環境が「水と油」である割りには長持ちしたなと思う。

 長持ちした最大の原因は、食べることが生き甲斐の亭主と、料理を作ることを唯一の趣味とする妻の取り合わせであったことだろう。「食」は人間生活の基本中の基本なので、例え何があろうと中断したり止めたりは出来ない。どんなに感情的な諍いがあっても、美味な食事を摂れば笑顔になる。

 贅沢は好まないが味にはこだわりが強い亭主と、その味の追求には骨身を惜しまない妻なので、通常は夫婦喧嘩になる場面でも更なる味の発展へと話題が広がるのである。意識しているわけではないが、長年の生活習慣が自然に「夫婦相和する」方向へ勝手に向かって55年が過ぎた。魚食を好み肉食を好まない亭主と、肉食を好み魚食を好まない妻は、どちらからともなく自然に"相寄る"結果になった。

 夫婦になった男と女は実に面白いもので、長い時を経て気づけば「何となく似ている」のである。暗黙の内に共通の好みが出来上がっていて、妻が旨いと作る料理は亭主も旨いと感じるのだ。この段階に到達すると最早夫婦喧嘩は成り立たなくなる。同じ布団の上で躯を重ね合わせれば多くの諍いが霧散霧消するのと同様に、旨い食事を共にすることで自然に仲直りする。

 男同士、女同士では困難な厄介事でも、男と女、女と男では絶妙に心身に呼応するのである。亭主はすぐ忘れてしまうようなことでも妻は不思議に覚えていることが多く、あのときの何々はこうであった、ああであったと話せば、夫婦二人の共通感覚を取り戻せる。単なる食事のあれこれで、世界を共有し、時代を共有できるのである。

 価値観が多様化した現代では「熟年離婚」が多発している。他人のことを兎や角言う趣味は持ち合わせていないが、様々な原因を追及するまでもなく当事者間の問題だ。他人には理解しがたい部分が多々あろうと思う。難しく捉えて難しく考えると際限がないが、生きるためには食事が欠かせない。夫婦関係のみならず生活の原点が食事であることに立ち返って、お互いが旨いと感じる食事を味わってみたらどうだろう。

 今日もまた老妻殿は己の年齢も顧みず、二度、三度と食材の買い物に出かける。分不相応と思える大きな冷蔵庫はほぼ満杯なのに、それでも足りないのだと言う。暑い日も寒い日も苦にせず、食材を物色するそのエネルギーに圧倒されるが、このエネルギーがある限り"認知症の神"は逃げて行くだろう。

 「性格の不一致」を嘆く前に、「美味の一致」をこそ追求すべき価値があるように思う。美味しく食べて笑顔になる日々を、老夫婦は今日も続けている。