獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

「疑似民主主義国家」

 新型コロナウイルスの感染拡大が止められない。感染拡大が明らかになる中で、その感染拡大を税金を使って助長した我が国政府が、今度は一転して「緊急事態宣言」やら「非常事態宣言」を持ち出した。能面の如き「仮面づら」で、事の次第を理解しているとは到底思えない無表情な"国民へのお願い"だそうである。

 案の定菅総理の言葉を額面通り受け取る国民は皆無に等しい。何を訴えても「あんたらがやれば」程度にしか国民の気持ちには届かない。"外出自粛"を口にしながら、その舌の根も乾かぬ間に銀座で自ら宴会を開いた「無神経総理大臣」である。この人のどこを探してみても、凡そ「知性」と思しきものが見当たらない御仁である。

 末端の社会現象だけを見ても我が国政治の悲劇は語れない。何ゆえ今日の事態を招いているのかを考えるならば、真っ先に考察すべきは国権の最高機関国会であろう。言うまでもなく、隣国中国や北朝鮮の如き共産主義社会主義を標榜している国家体制ではない。敗戦で占領国から"払い下げられた民主主義"とは言え、安普請でも民主主義は民主主義である。

 しかし、終戦から現在に到る政局を見渡せば、本物の民主主義が国民の側から自発的に派生したとは凡そ考え難い。常に"他力本願"や"どさくさ紛れ"に「成る可くして成った」観を免れない。その"輝かしい伝統"が現在に受け継がれて、政権担当能力とは無縁の野党が何故か不思議に国会の議席を得ている。単刀直入に言わして貰うならば"何の役にも立たない芥"の類いである。

 1度や2度なら偶然の産物とも言えるが、戦後70年の長きに渡って継続して国会に住み着いているから誠に不可思議千万である。その"役立たず野党"が唯一貢献しているのが与党自民党の「一党独裁」である。現在は川底に住む蛭の如くに与党に吸い付く公明党という怪しげな宗教政党を取り込んで名目上は連立政権だが、「一党独裁」であることに変わりはない。

 我が国政局は良くも悪くも、この役立たずで浮き草のような野党に助けられて、ほぼ万年与党体制が揺るがない。前職や元職の大臣が次々泥縄的に摘発されても、政権や与党内は"我関せず"とばかり"どこ吹く風"の趣だ。誰も責任を問われることなく、平然と事態が通り過ぎていく。誠に「一党独裁」の旨味横溢だ。"ゴマの蝿マスコミ"が多少騒ごうと追い払うのは簡単で、盤石な支配体制は微塵も揺るがない。

 さてこの事実上の「一党独裁」を助長している野党陣営だが、川面を流れるゴミや芥の類いは集めずとも川下に下る。適当な場所へ不思議に集積するのである。それにも似て時に増殖し、時に減量しても、姿を消すことは決してない。我が国野党は何故か不思議に知性派とか教養人と呼ばれる"訳が分からぬ文化人"の支持を受ける。それゆえに政治の場から消えることがないのである。

 未だに色褪せて久しい"マルクスレーニン主義"を信奉して、「盲目の夢想集団」と化した人種が意外にも大勢居る。自身が何をしているのか良くお判りでないそれらの集団に支えられて、労働者派遣制度の片棒を担いで政府を応援する「訳が判らぬ労働団体」共々、「自民党一党独裁」に大いに貢献している。現職の菅総理がカンペを読むだけの無能であっても、その資質や能力は一切問われないのである。

 例え中身がどうであれ表向きの体裁を整えておけば、行政が機能して形だけでも民主主義は保持される。内閣総理大臣や各閣僚の資質や能力は無関係だ。「自民党一党独裁」体制こそが我が国の民主主義で、総理や各大臣は月替わり・季節替わりで誰かがやれば良い。手っ取り早い話が与党内でくじ引き・抽選で決めれば良いだけのことだ。「我こそは」と思っている恥知らずが、与党全員である。

 現下のコロナ騒動でも毎度お馴染みの野党党首がテレビ画面に登場する。無能な政府と総理大臣は国家の悲劇だが、それ以上に救いのない悲劇がこの人たちだ。自分たちが当事者としての生産性ある提案が成されたことは一度もなく、10年1日相も変わらず異口同音に政府と与党批判ばかりだ。悪いが頭をかち割って脳みそを見てみたいと毎度思う。

 長い期間を経れば民主主義も千変万化する。生きている人間が運用する限り不変であろう筈はないが、その意味で言えば我が国の民主主義は先進国にあるまじき途上国並みのレベルだ。ほぼ硬直化して動きがとれなくなっている辺りは、どう贔屓目に捉えても「大国」という言葉は似つかわしくない。唯一適用できるのは「借金大国」くらいだ。

 誰も知らず、誰も期待せず、物陰から忽然と姿を現した観がある菅総理だが、その手法や経緯は別として現職総理になった。取って代わるべき実力者が党内外に見当たらないので当分は模様眺めで継続するだろう。その間に新型コロナウイルスの感染拡大は増加の一途を辿り、最早打つ手がなくなるだろう。そうならなければ「一党独裁」の主役交代は起こり得ないだろう。

 民主主義などどうでも良いのである。新型コロナウイルスの感染拡大だって、我が身や家族に影響がなければ規制や自粛もどうでも良い。居ても居なくても変わらぬ総理や政府がどう騒ごうが一向に関心がない。やりたければ自分たちがやれば良い。大方の国民は本音でそう思っている。この国の「疑似民主主義」同様、自分に直接影響がなければ「全て良し」なのである。