獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

夫婦この奇妙なるもの

 私たち人間には物事にこだわりの強い人と、そうでない人とがいる。一見同じように見えても、結果で比べるとかなり大きな相違がある。どちらが良くて、どちらが良くないという話ではなく、物事の感じ方や生き方まで違うので、同一性を持たせるのは極めて困難だ。

 但し世間にはこの逆進性を超えて生活や仕事を共にしているケースが少なくない。男同士の場合もあれば、女同士の場合もあり、男と女の夫婦という場合もある。いずれも大きく異なる性格の割には、存外良好な関係を築いている。性格は異なるのに妙に気が合うというのは男同士や女同士の同性間に多いが、男女の組み合わせの夫婦は必ずしも気が合うわけではなくても上手くいってるケースがある。

 他人のことではなく私事で恐縮だが、私たち夫婦は"水と油"である。よくぞここまで正反対なものだと感心するほど、すべてにおいて真逆夫婦である。学生夫婦同然に結婚生活をスタートしたので、人間生活のすべてが未熟で是非を考慮する暇がないままに日を重ねた。ゆえに良くも悪くもお互いがすべての物事を共有体験している。

 たまに衝突することはあったが、お互いに善し悪しに確信がないので最後は相手を受け入れる結末になった。最重要の課題は食事の嗜好性で、魚菜食を好む私と肉食中心の家内とでは全く合わなかった。お互いに食べ残しが増えるので、経済的に無駄だと判断した家内が次第に私の魚菜食に合わせるようになって、気づいた頃には食卓から違和感が消えた。

 一方的だと気の毒なので私も肉食を拒まなくなり、何となくお互いが譲り合う形で我が家の食生活が確立された。食事のマナーも正反対で、食べ残すことを厳しく禁じられて育った私と、無頓着に好きなものだけ食べる家内とは、ここでもまた真逆現象に対面した。音を立てずに粛々と箸を進める私と、ガチャガチャ音を立てる家内との違いがあり、これもまた言わずとも自然に私の流儀に寄り添う形になった。

 外交官家庭で英才教育を受けた子供時代の私と、農村部出身の商家に育った家内とではやること為すことのすべてが異なっていて、一緒に生活をし始めた頃はすべてに戸惑った。出身地の東京と青森の違いもあり、生活習慣も大きく異なっていた。強烈な刺激を受けたのは多分家内の方で、未体験事項の多さに圧倒される思いであったらしい。

 諸々の物事が悉く違うのに刺激されて、家内の作法やその流儀が少しずつだが目に見えて変化した。昭和初期に"モガ"と呼ばれる最先端の洋装で銀座を闊歩し、外交官夫人になった母の存在が大きく、小言を一切言わない上品で優雅な所作に魅せられたようだった。母が勧めるままに別居生活だったが、時々訪れる母を家内は心待ちにしていたようだ。

 "お姫様育ち"の母は感覚的にも洗練されていて、戦前の上流家庭の気風を受け継いでいた。見よう見真似で母の流儀を学んだ家内は、私が言わずとも次第に私が育った家庭の「家風」に染まり出して、どことなく母に似てきた。そんな思わぬ副作用が幸いして、正反対な若夫婦は格別の努力をせずとも同じ鞘に収まったのである。

 そんな経過を辿った私たち夫婦だが、生まれ持っての性格まで変わるわけではない。56年目を迎える今日までやはり違いは違いとして厳然と残っている。それでも仲違いをしないのは、お互いが骨身に沁みてその違いを自覚しているからである。生活を共にすることで共通の好みも増える。感覚が次第に似通ってくる傾向も顕著にある。

 男が男として、女が女として、それぞれに役割と責任を全うすることが必須だ。知らぬまま必死に私の指示を受け入れ続けた家内は、いつしか私好みに調教されて女として成熟した。淫乱まがいの性技も抵抗なく実践する妖しさも身につけた。お互いが必要とし合う限り崩壊することは考え難い。

 夫婦生活は心身共に「日々是好日」でなければならない。その努力を忘れなければ、人間性のほぼすべてが真逆な男女でも喜怒哀楽を共有することが可能だ。必ずしも「美男美女」である必要はないと思うが、お互いがお互いに関心を持ち続けられることが重要だ。それぞれの年齢相応に、心身共にチャーミングであらねばならない。

 夫婦とは誠に奇妙で不可思議なものだ。その前途に幸いあれ!!!