獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

老人日記(1)

 老人の日常は単純だが結構忙しい。まず第一に健康状態が上げられるが、大抵は75歳辺りを過ぎると安定とは言い難くなる。少し注意して見ると毎日が「昨日と違う今日」の連続形で成り立っていることに気づく。当人は同じつもりでも、少しずつどこかが違っているのである。そう感じられない御仁は「鈍感」なのか、「超健康」のどちらかだろう。

 曲がりなりにも生きているのだから、世の中や他人のために役立っていようが居まいが、少しずつ変化するのが当たり前で、何も変わらせないとすればその人は「死んで呼吸している」のである。自分が生きているのか、死んでいるのか、それすらが分からなくなってまで生きたいとは悪いが努々思わない。

 老化現象というのは各種の病気ではない病気を引き起こす。数え上げたらきりがないほどあるが、その一つに「難聴」がある。少しずつ耳が遠くなる人と、ある日突然聴覚が失われて全く聞こえなくなる人が居るらしいが、私の場合は幸か不幸か前者のタイプである。これまでの人生でかなり几帳面に色々な病気と付き合ってきたが、「難聴」も間もなく聞こえなくなると耳鼻科で宣告されて久しい。

 医者の指摘よりは随分長く聞こえていたので、今更聞こえなくなっても文句を言う相手が居ない。それでも実際に聞こえなくなってみると、何やら勝手が違うので定期検診時に医者へ報告した。私もかなり物事に"しつこい"タイプの人間だが、かかりつけの医者は更に"しつこく"、鼓膜へ穴を開けて内耳に貯まった水を抜いて塞がらないように極小のチューブを入れ直すという。

 物事は良くも悪くも諦めたらそれでおしまいなので、最後まで出来る努力はしてみるのだと言われた。患者の私に勿論異論がある筈がなく、数日後にその簡単な手術を受けることになった。これまで何度となく繰り返しているので、その都度少しだが聴力に変化があって大助かりであった。慣れもあって何らの抵抗感もないが、改めて医者の根気良さに少なからぬ感動を覚えた。

 公立病院なので毎度各科を複数受診しているが、皮膚科では容易に治まらない蕁麻疹と格闘する日々であるのを報告した。当初は腰の部分からスタートしてやがて全身に広がり、ついには頭にまで出始めた。薬を塗布するため髪を切り坊主頭になった。薬効で痒みは消えたが毎日のように違う場所へ出てきて厄介だ。

 医者の説明は一気に根治するのは無理なので、根気よく薬を使い続けるしか手がないらしい。音に聞こえる名医の慶応医師団なので文句は言えず、私にしては珍しく素直に指示に従っている。人間業を長くやっている慣れで突然耳が聞こえなくなっても慌てずに、身振り手振りで老妻に用件を伝えているので、咄嗟の生活に困ることはない。亭主が亭主なら女房も女房で、お互い人間業の長さを妙なことで実感している。

 老人の日常は少々の異変で驚いては居られないから、こうして文章が書ける内はまだ意識を失っていないので安心できる。失念して言葉が出て来なくなったらおしまいだと観念せざるを得ないが、それにはまだ間があるようで医者が言うように「諦めたらそれでおしまい」だと納得するまで、精々"しつこく"人間業を続けようと思っている。