獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

芸能界と芸能人

 時代が変われば世の常識が変わるが、変わらぬものもある。今も昔もスターを夢見て芸能界に憧れる女性群像である。華やかな世界で羽ばたきたいと願うのは多くの少女たちの夢で、芸能界が大衆化して身近になったので"我も我も"との思いが強まったようだ。

 私は70年代初期にファッションモデル業界に身を置いていた。当時の世相は50、60年代までの「雲の上」の存在から、テレビの普及と共に芸能界が身近で親しみやすい存在になった時代だった。映画や歌の世界が遠い山の頂のように見えていた時代から、誰でもが少し努力すれば芸能人になれる、スターになれるとの認識が急速に広まった時代である。

 私が所属したモデル・エージェンシーは、当時銀座に我が国唯一のモデルスクールを有していた。社長命でそのスクール・マネージャーになった私は、好むと好まざるとに関わらず隣接する色々な芸能界に関与する羽目になった。新興勢力のテレビに役者や歌手を供給する芸能プロが相次いで誕生して、「ナベプロ」が飛ぶ鳥をも落とす勢いであった。

 70年代初頭は世に言う「アイドル時代」で、美少年の郷ひろみ山口百恵などの「ホリプロ」三人娘らがテレビ画面で躍動していた。良くも悪くも一気に芸能界が大衆化した時代である。"ジャリタレ"と揶揄されながらも、連日連夜テレビに登場するそれらの少年少女スターを目指して、各テレビ局は10代のファンが殺到した。

 高度経済成長の時代を経て家計が豊かになった地方からも、大勢の少女たちが家出同然で都会を目指した。それらの少女たちを食い物にする悪質芸能プロが続出して、原宿や渋谷の街頭にはアルバイトの「スカウト」たちが溢れていた。我が国最古の歴史と伝統を誇る私たちのモデルスクールは、それらの被害を受けた少女たちの問い合わせと相談が殺到して、本来のレッスンが出来なくなるほどであった。

 ファッションモデル業界としても対岸の火事と傍観するわけに行かず、モデル協会加盟の各社を通じて悪質スカウトの指導と追放に乗り出した。その甲斐あって労働省(当時)の法規制が実現した経緯がある。今も昔も夢を売って、夢を食い物にする悪質商法は途絶えることがないようだ。夢に憧れる少女たちは、相変わらず常套の"ネギ鴨"なのである。

 現在は10代の少年や少女たちの芸能グループが続出している。これでもかとばかりに、名前を覚えられないほど百花繚乱の趣だ。是非はともかくとして最大の特徴は、裏を明かせば「儲かる商売」であることだ。かつて70年代にモデルを夢見て地方から上京して来る少女たちと数多く接した。その誰にも共通するのが「夢」である。

 女性特有のナルシズムが手伝って、彼女たちは夢と現実の見境がつかなくなっている。自分の容姿や能力を過信して、すぐにでもスターになれると信じて止まないのである。そのためならばいかなる犠牲も厭わないと覚悟して身を投げ出すのだ。むしろ喜んで自分から体を提供する。必死の覚悟で親を説得し、身分不相応な大金を持ってくるのである。

 職業上数多くの親たちとも接したが、むしろ親の側が熱心で性的関係を含めて娘を預けると断言する親さえ居た。空恐ろしい時代になったものだと実感し、自分を納得させるのに時間を要した。プライドと信念を持つことの大切さを説いたが、驚いたのは私の説明に耳を貸そうとしない親が、少なからず居たことだ。有名になればすべて良しとする風潮は、この頃を境に急速に広まった。

 現在は当時に比べてより多様化して複雑な社会になっている。見るとはなしに目にするテレビ画面の少年少女たちのグループは、次々とメンバーを入れ替えて、その度に利益が発生するメカニズムが完成しているようだ。所属するのに会費を払い、更に高額な各種のレッスン料を支払わされても、ひたすら耐えて収入がゼロの「青春夢喰い人」になる。

 テレビに出ることが至上命題であるかのように、志望者は際限なく集まるだろう。歌や踊りに見るべきものがないアマチュア集団でも、衣装を少し過激にすれば低俗なファンは集まる。それを"商売"として事業化して、巨利を得ている面々がいるのである。かつて"寄る辺なき宿無し"と言われて軽蔑された芸能界が、今や少年少女たちの夢の象徴になったようだ。

 芸能人がアウトローとして蔑視された時代から、現代は時代のヒーローになった。芸能界とはなんぞやが問われることはなく、芸能人は無条件に国民的スターに変貌した観がある。多くの国民はその実態と裏側を知らない。スターが文字通りのスターとして光り輝いた時代から、今や「芸がない芸能人」ばかりが目立つ時代になった。

 歌を歌えない歌手と、演技が出来ない役者。落語を語らない落語家や漫才が出来ない漫才コンビが大人気だ。アマチュアとプロの区別がなくなって、"一束一絡げ"の様相を強めている芸能界。無理に笑わせる粗雑な芸が大量生産され、本物と偽物が区別なく"呉越同舟"する時代になった。これが何ゆえ「便利で豊かな時代」なのか、分かる人が居たら教えて欲しいものである。

 本物を知り、本物を求めるファンが増えなければ、訳が分からぬ偽物だけが蔓延り、輝きを失った"艶がない"芸が跋扈する。かつてウォーキングの神様と称えられた我が国モデル界の最高峰と仕事をしたが、日夜を問わず日々トレーニングに身命を賭けた壮絶な生活を見ている。現代はそのウォーキングも消化できないファッションモデルがいる。何ゆえに高額な報酬が支払われるのか首を傾げざるを得ないが、それが現代風の"流儀"らしい。

 数十年前に実感した"空恐ろしい時代"は、現実になって今私の目の前に存在するのである。世の中のすべてが「芸能人オンリー」の、一種異様な時代に生きている。芸能人が何ゆえそこまで讃えられるのか、その答えは相変わらず見つかっていない。