獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

NHKとは何者ぞ!!

 新年1月からNHKの会長が交代するのだそうな。以前から思っていたがNHKの会長って一体何をしているのだろうか。経験も知識もない全くの異分野から、安倍政権に指名されて突然公共放送NHKの会長になる。何らの知見を必要としない役職であれば、極論すれば一般の中高生でも充分務まることに相成る。

 毎日送り迎えされて渋谷のNHKへ出て来て、ハンコをいくつか押して訳が分からぬ退屈な会議に出席し、高額の報酬を得て2.3年の任期を勤める優雅な職業らしい。言うなれば安倍政権の論功行賞を担う名誉職であるようだ。それゆえ誰がなってもNHKの経営に影響することは一切なく、「居てもいなくても良い存在?」らしい。

 NHKは公共放送であるが故に、会長職の下に訳が分からぬ経営委員会なる組織が存在する。一般の企業に例えれば役員会に相当するらしいが、通常の企業はそれぞれの役員が責任部署を持つのに引き替え、NHKの役員は部外者である。責任部署や担当部署を一切持たない。口から出任せの"言いたいこと"を、適当に言うだけである。

 ここまで見ただけでも公共放送NHKの「無責任体質」が明白だ。ご丁寧に放送法という法律に守られて、視聴料という名の"税金"を国民から徴収している。念のため申し上げるが放送を視聴する国民が納めるのではなく、視聴の有無に関係なく強制徴収するのである。古い表現で恐縮だが戦時中の"赤紙"同様に、問答無用の強制執行である。

 現下のNHKテレビ放送は、自民党右派政治の誕生と歩調を合わせる如く一変した。小泉政権下で顕著になった「御用放送化」は、安倍長期政権で名実ともに公然となり、ニュース・ソースは官公庁の発表ばかりになった。それ以外のニュースは新聞や民放テレビのコピーで、概ね半日遅れか一日遅れで放送される。それらと区別するために、ご丁寧に「NHKの取材に」という枕詞がつくようになった。

 ここまであからさまな「御用放送」でも、それに飼い慣らされた国民は格別の違和感を感じない。退屈でつまらなければ民放を視れば良いと安直に考え、CMの合間に番組を流す民放を平然と視ている。「何かが違う」と感じる視聴者は殆ど居ない。テレビが便利に使い回す「有識者」や「専門家」は、等しく安倍政権の"ポチ"で言わずもがなのことを恥知らずに開陳する。

 それらの公共放送NHKが伝える情報がこの国の「常識」に化けて、得意顔した自称インテリ層の老若男女に蔓延している。右翼もそれが一般化すれば国民は右翼であることを忘れる。右も左も関係ない「普通」になるのだ。イギリスの総選挙が示した結果のように、右翼以外の選択肢がない我が国の現状は、事実上中国や北朝鮮一党独裁と変わらないのである。違いは政治手法だけだ。

 それゆえに公共放送という怪しい"徒花"が我が世の春とばかりに咲き乱れて、右翼長期政権は延々と終わりなく続くことになろう。選択肢なき民主主義は事実上の独裁政治であると気づかず、バブルの如き訳が分からぬ野党に希望を見い出そうとしても、所詮は公共放送を操る安倍政権の掌中である。

 嘘と真実が主役の座を逆転しているこの時代に、官製公共放送ほど"嘘臭い"ものはない。プロパガンダという言葉をご存じの方は今や少数派だと思うが、誰も気づかぬうちに"調教"されて、予想外の歴史展開に誘われた「負の歴史」がこの国にはある。「一度あることは二度ある」という古い言葉を、最近のNHKを視て思い出すのは高齢者ゆえの"取り越し苦労"であろうか。