獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

師走という季節

 12月になった。別にどうということもない季節の巡り合わせだが、高齢者が感じる昔懐かしい感じとは様変わりして久しい。まだ秋の気配濃厚な内から年賀状が売り出され、お菓子屋さんにはクリスマスケーキの幟旗がはためく。自然界は紅葉真っ盛りなのに、何かしら"場違い"な光景がごく普通になった。

 慣れるという言葉には"空恐ろしい"響きがあって、少し表現を強めると「飼い慣らされる」ということにつながる。「戦後は遠くなった」などと寝惚けたことを申し上げるつもりはないが、季節も人間も本来あるべき姿が様変わりしている。本当は不自然なのに、誰もそれを不自然だと感じずに、むしろ当然と思って通り過ぎる「怖さ」である。

 巡り来る冬は寒く、夏は暑いのが当たり前であったのは、遙かに遠い昔日のことになった。あるべきものが、あるべき姿ではなく、別のものになって無理矢理私たちの前に姿を現す時代である。この時代に生まれ、それらの様子を不自然だと思わずに、至極当然と受け止める世代が成長している。

 移りゆく時代は季節と異なり、来し方の面影をとどめない。人それぞれがそれぞれに感じた記憶に残るのみだ。それとても人それぞれで都合良く演出され、アレンジされる。為政者の演説の如くに勝手に着色されて原形をとどめない。時代を吹き抜ける風はほぼ同じなのに、人の暮らしの臭いでそれぞれの時代に染まる。

 華やかに見える店先には、決して気分が華やかでない非正規雇用派遣労働者が立つ。気づかぬ内に時代が変わり、知らぬ間に季節が変わって、早くも正月料理が売り出されている。"先生が走り出す"とされた師走になったが、今時の先生は多くのテストが受験産業任せで大揺れして、おちおち腰を落ち着けて師走気分など味わえないだろう。

 どんなに時代が変化しても人々は年越し蕎麦を食べ、おせち料理を戴く。女性たちは着飾って初詣に出かけるのだろう。普段は神様や仏様とご無沙汰のしっぱなしでも、不思議に神妙な面持ちで手を合わせる。人それぞれの思いがどうであれ、師走の風が吹き季節は前へ進む。喜怒哀楽それぞれの感慨を込めて、季節は巡り時代は流れ去る。

 今年もまた季節が巡って師走がやってきた。高齢者は自分の子供の頃と大きく様変わりした時代を見上げながら、巡り来る季節に様々な感慨を馳せている。精々インフルエンザに見舞われないよう気をつけながら……。