獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

コロナ禍の師走

 冬らしい朝冷えの師走がスタートした。「師も走り出す」と例えられた繁忙期に突入する季節なのだが、今年は何やら「様変わり」が著しい。まずもってその筆頭に挙げねばならないのが「新型コロナウイルス感染拡大」だろう。人間世界を覆い尽くして"ほくそ笑む"観の病原体は、一体誰が何の目的で拡散させたのかの議論が見当たらない。物事は須く「原因」がある筈で、その土台を無視するが如き対応策は何やら「ちぐはぐ」の"そしり"を免れ得ない。

 その根本原因の究明から目を背けた世界の対応は、例えるなら民主主義の原則である選挙を認めないとする超大国の"おバカさん大統領"を見習っているかのようにさえ見える。世界の歯車が狂い始めて、時折逆回転も珍しくなくなった現代社会は、一体何を目指してどこへ進もうとしているのか杳として見通せない。「ちぐはぐ」が日常化して普通に化けているのは、どうやら我が国ばかりではないらしい。

 経済成長を金科玉条とする市場経済が急速にスピードダウンした。猫も杓子も金儲けに精出して、「利益」を得るためならば「何でもあり」が普通になった世の中で、その利益を生む「消費」が停滞し出した。目に見えない微少な細菌を前に、21世紀の人類社会は"手も足も出ない"様相だ。市場経済とは何か、近代資本主義とは何かが、今改めて問われている。"為す術を失った"人間社会は、「目暗滅法」の救済策に血道を上げている。

 人間社会は無限に人間を救済できるのか。その答えを用意している政治や国家が果たして存在するだろうか。諸々のイデオロギーが一様に色褪せて無力化し、21世紀に到って人間社会は「羅針盤なき航海」を余儀なくされている。一定のスピードを維持するのが困難になって、広い海原を漂流せざるを得ない事態に直面している。人間活動のすべてが"様変わり"を余儀なくされている現実に、尚も「経済成長」の夢を追い続けるのだろうか。

 新型コロナウイルス感染拡大が第三波の新局面に立ち至っているのに、その現実に目をつぶって消費を喚起する愚策を継続する政府に「時代の実相」が見えているか。市場経済が立ちゆかなくなって、「経済成長」が頓挫しているのに代替案を提示できない政治を、闇雲に政治と呼んで良いのだろうか。無差別に、無制限に、「何でもあり」の救済策を"ばらまいて"、そのツケは誰が払うのか。

 令和と元号が改まって2年、2020年は予定されていた「東京オリンピック」が開催されないまま終幕を迎えようとしている。過剰な期待感が莫大な投資を産み、投入した準備予算は取り戻す術がない。世界を席巻するコロナ禍で大幅な観客動員減が見込まれても、一度吹かれた笛は止めようがない。既定事実という巨大な化け物に変わった「東京オリンピック」は、架空と化した市場経済の「経済成長」同様に、着地点が見定まらない。

 コロナ禍の直撃を受けている医療現場の声が虚しい。数字合わせに夢中の政府や官僚発表から医療現場の声は聞こえない。語呂合わせの予算編成で皺寄せを受け続け、今や痩せ細っている医療現場の現実を大方の国民は知らない。政治は「諮問会議」を体良く利用して責任逃れを繰り返し、超高齢化社会の現実と向き合おうとしない。そんな政治を国民は躊躇なく選択してきた。誰も責任を感じずに国家予算という名の"カネ"が蠢いている。

 突然降って湧いた「新型コロナウイルス感染拡大」で世界が激震し、我が国も直撃を受けている。猛威という以外言いようのない事態だが、有効策が見い出せないまま2020年は幕を閉じようとしている。これこそ正に「師も走り出す」非常事態だ。急に口をつぐんで誰も口にしなくなった観がある「非常事態宣言」は、このまま宙に浮いて新年を迎えるのだろうか。