獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

冬到来

 カレンダーは11月最後の日だが、一足早く冬将軍がやって来た。今朝の東京は今シーズン最も冷え込んだ朝を迎えた。私が住む内陸の多摩地区は都心に比べて1~2°気温が低いので、今朝の気温は2°だったらしい。病み上がりの高齢者は無理して外へ出ることもないので、家の中で暖かくして過ごしている。

 近年の傾向は地球温暖化とやらで寒暖差が激しく入れ替わる。急に暑くなったり、急に寒くなったりが日常化して普通のことになった。寒いから、暑いからと、いちいち驚いていたのでは生きて行けない時代になった。地球上に暮らす生き物の中で、人間様だけが勝手気儘に自分だけの都合で自然の摂理を無視する。

 排出ガスの削減が叫ばれて随分長く経つが、どの国をとっても率先して実行する例がない。誰も責任を取らずに、途上国や新興国などはむしろその流れに逆行して憚らない。エゴ丸出しの人間社会は相変わらず対処する処方箋がない。暑くても、寒くても、苦情を訴える矛先がないのだから、誰しも我慢して受け入れざるを得ないのだ。

 異常気象と一口に言っても人間様は余りに尊大過ぎて、優れた科学技術を手に入れてそれを過信し畏怖を忘れている。先へ先へと急いで、立ち止まることや一歩退いて来し方を顧みることをしない。自然の摂理やリズムがあることさえ普段は気づかない。暑さや寒さは科学技術で克服できると信じて止まないのである。

 空調技術と機器の発達で、都会の暮らしは四季がなくなりつつある。年間を通して昼夜の別なく同じ気温が維持されている。それを当たり前と認識して、改めて環境変化に思いを巡らすことがなくなった。多くの人は寒い朝も暑い朝も、自宅を出るとすぐに忘れる。冷暖房が当たり前になった交通機関に揺られて、職場へ着けば暑さや寒さは感じない。

 移り変わる季節は窓の外で、室内は季節に合わせて空調される。戸外を走り回る小学生には、短いズボンやスカートから素足が覗く子供たちが少なくない。その光景を別段不思議だと感じない世代が増えた。気にするのは時代に周回遅れの高齢者だけだろう。冬という言葉の凜とした語感も怪しくなっている。今や季節感は言葉の遊びだけのようである。

 一段と冷え込んだ寒い朝に、ハアーハアーと白い息を吐いて道を急ぐ風景は変わらない。けれども人の心が熱いか冷たいかは分からない。それでも一足早い冬はやってきた。