獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

年賀状の季節

 今年もまた年賀状の受付が始まった。相次ぐ値上げで今年ははがき一枚が63円になった。高齢者はご多分に洩れず年々差し出す枚数が減るので、値上げの影響は全くない。年賀状を準備する前に「喪中欠礼」のはがきが届くのが恒例だが、今年は一枚だけだ。縁ある同輩がどうやらまだ持ち堪えているらしい。

 高齢者の年賀状は一筆の添え書きが大抵病気の話題になるが、明るいハッピーな添え書きに触れる機会は滅多にない。味気ない定型の印刷賀状は「生きているよ」の知らせで、添え書きがされているものはまだ良い方で、印刷されたものに住所と名前がプリントされただけのものが年々増える。

 比較的近くに住まいしていても、不思議に顔を合わす機会がない親戚や友人も居る。それでも何故か年賀状だけは来るから不思議と言えば不思議である。当方もまた律儀にそれらへ不義理にならぬよう出し続けるから妙である。誠につまらない風習ながら、年老いるとそれがやけに楽しみになったりするから、またまた不思議である。

 一年に一度だけの郵便によるやりとりなので、こちらから出す年賀状は余り月並みでは面白みに欠けると思ってそれなりに配慮している。毎年手作り感覚でオリジナルの年賀状を作っている。写真画像を工夫して組み合わせ、それとはなしにユーモアを添えるのは結構骨が折れる。肩に軽い痺れがあって直接文字や絵を書けないので、すべてパソコンを駆使しての作業になる。

 若し自慢できるとしたら、一度も定型の挨拶文を使用したことがないことくらいだろう。短い文章で人生の機知を表現するには、何日も熟慮しなければならない。年賀状を受け取った相手の顔が思わず綻ぶように願いながら、嫌みにならない程度のユーモアを添える。手間暇掛ければそれだけ愛着が湧くので、相手の顔が親しげに見えてくる。

 気持ちを集中させて一言一句に思いを込め、オリジナル年賀状は完成する。まず自分が見て楽しいか、より親しみが増す工夫が為されているか、人と人とを結ぶユーモア・センスが感じられるか、繰り返し自分で自分に問いながら、納得できて投函するのである。たかが年賀状、されど年賀状である。大小は別として、感動のない人生はつまらないと思うがゆえである。

 つまらない風習をつまらなく終わらせるか、それとも受け取った相手の心に何かを残せるか。それはあくまで自分次第だ。自分がつまらなければ、相手もまたつまらないのである。一年に一度の総決算と思って多少の手間暇を惜しまなければ、お互いがハッピーになれる。63円のはがきに万感を込めて、お互いが少しでも嬉しくなる年賀状を作ってみませんか。