獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

天国と地獄

 宗教の世界は摩訶不思議が実に多い。我が国の母体宗教である仏教を見ても、良くも悪くも「訳が分からぬ」世界や言葉が数多い。海外へ目を転じると殆どの宗教が「一神教」であるのに対して、我が国の仏教は「多神教」である。キリストやアッラーのように、神様が一つではない。だから余計に「訳が分からぬ」のである。

 意味不明の迷信も宗教の世界では教理や教義になる。誠に不思議なのであるが、21世紀の現代でもそれらの教理や教義に異を唱える人はいない。最先端の科学でそれらを解明しようとの動きは見られない。遙か彼方の宇宙の小惑星の探査が可能になっても、身近な宗教を解明しようとの声は聞かない。

 そればかりかアカデミックな科学知識を身につけた人でさえ、家族や友人・知人の葬儀で古来の神道や仏教風習に従っている。今年は特に天皇陛下の生前譲位と新天皇の即位があったので、テレビの画面を通して普段目にすることがない天皇家神道儀式を見た人が多いだろう。古式ゆかしくと言えば聞こえは良いが、その意味を知る人となると殆どいないだろう。

 何ゆえ人は「訳が分からぬ」宗教を受け入れて信じているのだろうか。誰もが疑問に思い、ある種の疑念を抱いても、それを受けて明快に答えられる人がいないのである。神仏の世界は神秘のベールに覆われたまま、21世紀になっても相も変わらないのである。言葉が一人歩きしている観がある「黄泉国」(よみのくに)も、実際に見た人はいない。

 「三途の川」や閻魔大王も確認された事例はないのである。況してや「天国と地獄」に到っては誰一人見ていないし、体験してもいない。それでも多くの日本人が信じているし、「訳が分からぬ」まま受け入れている。何ら根拠に乏しい神話や法話を、先祖代々何となく信じている。盆暮れと春秋の彼岸には墓参りするし、皆が等しく墓前で手を合わせる。

 直接宗教に関与していない普通の国民は元より、実際に神道や仏教の葬祭行事を執り行う神官や僧侶も、それぞれの宗教教義は学んでもその真偽には触れない。それぞれがそれぞれに解釈して他言することはないのである。私たちが質問しても、返ってくる答えは「訳が分からぬ」屁理屈の範疇を免れない。

 長く寺院に関わってそれなりの仏教知識は学んだが、門外漢の哀しさゆえか奥深い真理には未だ辿り着いていない。法話や絵画に描かれた「天国と地獄」は再三見聞きするが、納得して受け入れるまでには程遠いのが実情だ。近々招かれずとも三途の川を渡り、「黄泉国」へ旅立つことになりそうだから、若し詳細が分かれば"あの世"からお知らせしよう。