獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

「桜を見る会」の笑いぐさ

 安倍総理主催の「桜を見る会」が話題である。国会はまるでこの話題だけが国事・国難であるかのように、連日野党側の追求が続いている。それに便乗したマスコミが騒ぎ立て、毎度お馴染みの有識者とやらがぞろぞろ出てきて、勝手に"唯我独尊"の屁理屈を並べ立てる。ただ言うだけの批判など三文の値打ちもないことをご存知でないらしい。

 「桜を見る会」は、天皇陛下が主催されて毎年春と秋に開催される「園遊会」を真似て、異例の長期政権に安住する安倍総理とその側近たちが考え出した支持者への返礼行事だ。国家の最高権限を有する内閣総理大臣が、公式・非公式を問わず国費を濫用しても特別問題があるわけではない。

 この程度の公私混同を問題視するなら、与野党を問わず現職国会議員や各自治体の首長はどうかが問われねばならない。巨額の不正転用が日常化して問題視されず、少し目立つ事項を取り上げて鬼の首でも取ったが如く息巻く野党とは何ぞやである。民主主義も長くなると制度疲労を起こす。おかしげや怪しげが軒を連ねる現代社会で、権力者の"揚げ足取り"をしようと思えばネタには事欠かない。

 そもそも何一つ政治的使命を見いだすのが困難な野党とは、そのこと自体が問われねば他者の批判など"負け犬の遠吠え"にしか聞こえない。"鬼の首"どころか、自分たちが"猿回しの猿"を演じていることにすら気づいていないようだ。これが「笑いぐさ」でなかったら何が「笑いぐさ」だと言うつもりだろうか。

 例えどんなに制度疲労して醜態を曝そうと、現在の我が国は曲がりなりにも民主主義国家である。お隣の北朝鮮や中国とは政治体制を異にしている。選挙で国民に選ばれた政権が問題ならば、次の選挙で与党勢力を悉く落選させれば良いだけの話だ。安倍政権が登場して随分長いが、選挙の度に与党議員数は増えても野党議員が増えたことはない。

 兎にも角にも民主主義は選挙の結果である。国民の支持がない野党がどう騒ごうが、現体制は微動だにしない。その現実をまず直視すべきだ。安倍政権の閣僚が単なる"鉛筆転がし"方式で、適性や人格が全く無視された「お友達と順送り」人事で彩られていたとしても、その安倍政権を選択したのは紛れもなく有権者の国民だ。

 他にやることがない野党の暇つぶし戦略だとしても、安倍政権を批判するのは間接的に有権者の国民を批判することだ。現に与党自民党内に安倍総理の後継者が存在するか。"バカさ加減が天下に知られて"賛同者が増えない石破茂と、"節操なき頭の悪さ"ばかりが突出して目立つ岸田文雄、"親の七光り"でスター気取りの小泉進次郎程度である。

 与党自民党内の誰に代わったとしても、その経験値と安定度で安倍総理を超える者はいない。多くの国民がそう思っている。善し悪しを超えて現状是認なのである。"モリ・カケ"問題が安倍総理の答弁通りだと思っている国民は殆ど居ない。例え「真実」が明らかになろうとも、「それがどうした」というのが国民の本音だ。

 些細なことの是非を問うことよりも、由々しき事態に陥っている国家財政を抱えてどうすべきかが先なのだ。政治と経済の安定を優先すべきと言う国民の声が聞こえていないならば、野党議員や批判する有識者なる怪しげな御仁たちは、頭を丸めて反省せねばならない。それらの尻馬に乗るマスコミも同様である。

 「安倍嫌い」を自認する私でもそう思うのだから、この国の政情は今や機能不全の寸前にあるようだ。民主主義の制度疲労もここまで重症化すると、有効な"飲み薬"も、"つける薬"も、容易には見つからない。出るのはため息ばかりである。