獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

フィラデルフィア管弦楽団視聴記

 人間長生きすると良いことがある。思いがけずもテレビでフィラデルフィア管弦楽団を視聴する機会に恵まれた。指揮はヤニック・ネゼ・セガンで、NHK音楽祭2019で来日した時の録画だ。この日のプログラムはラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」と、ドボルザークの「交響曲第9番"新世界"」であった。

 ラフマニノフはピアノが中国の新鋭ハオチェン・チャンであったが、お初にお目に掛かり耳にした。繊細でドラマチックな表現力に魅了されたが、失礼ながらあの中国にもこのような英才がいるのを知らなかった。我が国の逸材辻井伸行と比較しても、その消え入りそうに繊細なタッチは辻井を上回っている。

 何分にも病み上がり老人ゆえ目と耳に障害がある。SONYの大画面テレビにJBL製の2ウェイ補助スピーカーを設置して、テレビ側の音声出力端子に接続してデジタルアンプを介して音を出している。通常のテレビ音声より広帯域での高出力が可能なので、音楽番組やBDの再生で威力を発揮させている。

 フィラデルフィア管弦楽団はユージン・オーマンデイが指揮した頃に良く聴いた。「煌めくサウンド」とのキャッチコピーがつけられて、LP時代の花形でもあった。生で接する機会がなかったので、アメリカの他のオーケストラとの音色の違いを聴くのに相当額の投資を強いられた。

 オーディオ機器の中でもスピーカーは最も音色の違いが明瞭なので、Jazzを聴いて知っていたイーストコースト・サウンドのLBLと、アルティックに代表されるウエストコースト・サウンドを、必要に応じて交換しながら聴いた。ウイーン・フィルやベルリン・フィルなどのヨーロッパ・サウンドは少し音色が明快すぎる嫌いが感じられたが、アメリカのオーケストラは、土地柄を反映してか心持ち明るい響きがあった。

 ブルーノ・ワルターが指揮したニューヨーク・フィルとやや違うウエストコースト・サウンドのロス・フィルや、"いぶし銀"と評されたクリーブランドなどは今なお耳に残る。シカゴやボストンなどの交響楽団は浮沈の時期があったが、指揮者の力量で名録音を数多く残した。LP盤の時代はスピーカーと並ぶ音色の違いがあった音の入り口カートリッジにも拘ったのを憶えている。

 何といってもデンマークの名門オルトフォンSPUに軍配が上がるが、アメリカ製のシュアーも平均的優等生サウンドで名を馳せた。新興メーカーだった独エラックが出現してからは一歩譲る様相になったが、価格以上の音を聴かせた。それらが紡ぎ出すフィラデルフィア管弦楽団の明瞭な音は、文字通りの「煌めくサウンド」で別名「オーマンデイ・マジック」とも呼ばれた。

 NHKEテレで放送されたこの日のプログラムは、誰でもが知っている名曲中の名曲による組み合わせで、進化した現代の「フィラデルフィアサウンド」を存分に聴かせた。ラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」は甘美で濃厚なこの名曲を、ヨーロッパ勢のオーケストラと違う解釈で酔わせた。フィラデルフィア管弦楽団のダイナミックな起伏がより一層この名曲を際立たせて、繊細なハオチェン・チャンのピアノに寄り添っていた。演奏が終わっても鳴り止まぬ拍手が延々続いて、この日の演奏を讃え続けていたのに納得した。

 ドボルザークの「交響曲第9番"新世界"」は、元々がアメリカの大地を題材にした名曲なので、フィラデルフィア管弦楽団の「煌めくサウンド」が存分に本領を発揮した。アメリカのオーケストラならではの解釈で、憂愁に満ちたこの曲の"歌心"を堪能させた。LP盤で耳にした「オーマンデイ・サウンド」とは少し違っている気がするが、より洗練された「煌めくサウンド」を聴くことが出来た。

 技術の進歩が著しく、大枚をはたいて手に入れた往年の名器に匹敵する音に酔わされた。近所迷惑にならぬよう高画質・高音質で録画して、翌日の日中に大音量で再生した精もあって久々のフィラデルフィア管の「煌めくサウンド」であった。NHK音楽祭2019のプログラムが発表されて、出来得るならば是非生で聴きたいと切望していたので、病み上がりの身を無理せず接し得たので無上の感激だった。